
アート・ペッパーが追求した“芸術”としてのアドリブ,ここに極めけり! 『モダン・アート』のアート・ペッパーを聴かせれば,アート・ペッパーなんて大した事ない,なんてほざくガキの口を簡単に塞げるというものだ。
そう。アート・ペッパーこそ,歴代ジャズ・ジャイアンツ「指折りの天才」の一人なのである。
しか〜し,管理人は『モダン・アート』批評の中で,アート・ペッパーの天才,についてなど書かない。この名盤については多くが語り尽くされている。
ただし,肝心な点が抜けている。抜け落ちている,くたばれジャズ・ジャーナリズム。お前らの耳は「提灯記事」専用なのか?
『モダン・アート』について真っ先に語らなければならないのは,次の点である。
“快作”の主役であるはずのアート・ペッパー本人が,ちっとも楽しそうではないのである。それどころか,あろうことか事実はその逆であり『モダン・アート』からは聴こえてくるのはアート・ペッパーの“ジレンマ”ばかり。何でこの点を誰も書かないのだろう。
アート・ペッパーがアルト・サックスでこう語っている。「違う。違う。こんなのは最高傑作でもなんでもない。俺はもっと出来るんだ。だからこんなんで満足などしないでくれ。俺自身が『モダン・アート』のアドリブの出来には全く満足していないんだ」。
『モダン・アート』は,アート・ペッパーの“苛立ち”で満ちている。表面上,大成功に聴こえたとしても,実際には上手にごまかす技術が身に着いただけ?
アート・ペッパーの目前には本人にしか見えない「高い壁」がそびえ立っている。この「高い壁」にアート・ペッパーが絶望しているように聴こえる節がある。もっともっと高く。
行き着くところまで行ったからこそ見えた新たなステージ。もっともっとその先へ。『モダン・アート』はあくまでも通過点。自由自在に飛翔しているように聴こえて,本人は限界ギリギリの狭間で“もがいている”。感情の抑制と解放が同居する“苛立ち”しか聴こえてこない。
そう。『モダン・アート』でのアート・ペッパーは生々しいほどに人間的。“天才”という称号などかなぐり捨てて,しかし自分の内に秘める妥協できないルールには従っている。決して破綻などしない“気品高き”メロディ主義。

ラス・フリーマン・トリオのHAPPYな演奏で余計に際立つアート・ペッパーの「耽美主義と孤独」…。切ない→刹那主義…。
管理人は思う。名盤『モダン・アート』を頂点として「前期」アート・ペッパーは燃え尽きたのだ。燃え尽き症候群に襲われたのだ。それゆえの「後期」での別人格なのだと思う。
そう。アート・ペッパー“最大の苦心作”にして「後期」への誘い水。それが『モダン・アート』の真髄であろう。
01. BLUES IN
02. BEWITCHED
03. WHEN YOU'RE SMILING
04. COOL BUNNY
05. DIANNE'S DILEMMA
06. STOMPIN' AT THE SAVOY
07. WHAT IS THIS THING CALLED LOVE
08. BLUES OUT
(イントロ/INTRO 1957年発売/TOCJ-5955)
(ライナーノーツ/小川隆夫,高井信成)
(ライナーノーツ/小川隆夫,高井信成)