ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT, VOL.1-1 ジャズは音楽,ジャズは芸術であるのだから,ジャズにおいて“奇抜”という評価はナンセンスである。
 しかしナンセンスを承知の上で宣言する。エリック・ドルフィーは“奇抜”である。

 これは何もエリック・ドルフィーの為すことやること,その手法,アプローチの仕方についての評価ではない。エリック・ドルフィーのフレーズである。フレージングが“ただものではない”のである。

 初めてエリック・ドルフィーソロを耳にした時に感じた奇抜さは忘れられない。ほんの数秒間でエリック・ドルフィー独特の世界を構築してしまう。起承転結の読めないアドリブの展開力に一気に持っていかれてしまった。

 こう書くとエリック・ドルフィーフリージャズの旗印とする信奉者に肩入れしているように受け取られかねないので,ここでハッキリと否定しておく。
 エリック・ドルフィージョン・コルトレーンオーネット・コールマンとも共演したし,確かに前衛の影響は受けただろう。しかし管理人に言わせればハード・バップやモードの枠内での変化と解釈すべきである。よってエリック・ドルフィーフリーと定義することには反対である。

 おっと,横路にそれてしまって申し訳ない。とどのつまりエリック・ドルフィーのフレージングは時代を超越した“オンリー・ワン”( by SMAP )である。
 実際,エリック・ドルフィーの死後,彼を真似した“ドルフィー派”が多数台頭したものだが,ビッグになった“ドルフィー派”を管理人は知らない。
 そう。エリック・ドルフィーのオリジナリティは真似しようにも真似できないもの,だから“奇抜”なのだ。

 そのエリック・ドルフィーの“奇抜さ”を最高に楽しめるのが『ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT』(以下『アット・ザ・ファイブ・スポット』)シリーズである。
 このシリーズは正確には4枚の組みアルバムなのだが『アット・ザ・ファイブ・スポット』を名乗るのは『アット・ザ・ファイブ・スポット VOL.1』と『アット・ザ・ファイブ・スポット VOL.2』の2枚である。

ERIC DOLPHY AT THE FIVE SPOT, VOL.1-2 管理人の結論。『アット・ザ・ファイブ・スポット VOL.1批評

 『アット・ザ・ファイブ・スポットVOL.1』には3トラック収められているが,ソロの凄みはもとより,メンバー間のインタープレイとは呼べない“何か”,しかしそうとしか呼びようがない“何か”がスパークして止まらない。
 この得体の知れない“何か”の存在が,エリック・ドルフィーを聴こうと思う最大の目的であり,ジャズ界全体を見渡してもエリック・ドルフィー関連以外では容易に手に入れることのできない「貴重な宝」だと認めざるを得ない。

 『アット・ザ・ファイブ・スポット VOL.1』も真の凄さは数回聴いたぐらいでは分からない。まずはエリック・ドルフィーの“奇抜さ”が耳から抜けるまで聴き込むことだ。
 “奇抜さ”をあるレベルまで突き抜けたところにジャズ・マニアだけが辿り着くことのできる至福の世界が待っている。繰り返し聴けば聴くほどエリック・ドルフィーの「ノーマルな部分での偉大さ」が理解できることと思う。

 
01. FIRE WALTZ
02. BEE VAMP
03. THE PROPHET

 
ERIC DOLPHY : Bass Clarinet
BOOKER LITTLE : Trumpet
MAL WALDRON : Piano
RICHARD DAVIS : Bass
ED BLACKWELL : Drums

(プレスティッジ/PRESTIGE 1961年発売/VICJ-23511)
(ライナーノーツ/ジョー・ゴールドバーグ,悠雅彦)

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