

ウイントン・マルサリスの登場はジャズ史におけるエポック・メイキング,時代の流れを変える衝撃だった。ウイントンの登場なくして,この2006年に熱い4ビート・ジャズを聴くことなどなかったかもしれないからだ。
時は1982年。フュージョン・ブームの真っ只中。(管理人は当時中学生でしたので,リアルタイムに体験したわけではありません。ここでは勉強の発表会ということにさせてください)。
マイルス・デイビス,ウェザー・リポートを筆頭に,それまでジャズの王道を歩み,ジャズという音楽を率先して確立してきたビックネームですら,フュージョンの波にのみ込まれていた。
そんな時代に“待ったをかけた”! それが『WYNTON MARSALIS』(以下『ウイントン・マルサリスの肖像』)の発表だったのである。
別にウイントン自身はジャズの革命とか,時代の風雲児を狙ったわけではないことだろう。
しかし結果として,このCDの発表によってフュージョン・ブームは駆逐されてしまった。時代は再びメイン・ストリーム・ジャズを求めていったのである…。
以上,簡単なうんちくを土台として早速本題に入ろう,と思ったが,その前に管理人から一言,読者の皆さまに宣言したいことがある。
「私,セラビーは“ウイントン派”です!!」。
つ,ついに宣言しちゃいました。こう書くと反ウイントン派からの猛反発を受けることは覚悟の上です。躊躇しましたが,やっぱりウイントン・マルサリスが大好きなんです。
理由ですか? 理由はいっぱいあって簡単には説明しきれません。ウイントン好きの皆々様,もし管理人が攻め込まれることがありましたら,是非,助け船を出してください。よろしくお願いいたします。
今回はつたない文章ではありますが,宣言した以上,ここで逃げるわけにもいきませんので,管理人なりに『ウイントン・マルサリスの肖像』を例に説明を加えてみることにします。
なぜこのCD,そしてウイントン・マルサリスを押すのだろう…。
それはウイントン・マルサリスのジャズ全般に対する造詣の深さが伝わってくるからに他ならない。
管理人には『ウイントン・マルサリスの肖像』から流れ出す音が,ウイントン一人の音と言うよりも,過去の偉大なトランペッターたちの集大成に聴こえてならない。
もちろん,各トランペッターはその人にしか出せない色合いを持っている。にもかかわらず,そう聴こえるのは“質”の問題なのだと思う。そう。トランペッターとしての“質”。
ウイントン・マルサリスはクラシック界からも絶賛されている。テクニックに関しては折紙付きだ。ここがポイント!
トランペットを完璧にコントロールできるから,ウイントンは自分の出したい音を出す。だからこそ,そこに“ジャズのラッパ”が鳴り響く!
端的に言えば,ウイントン・マルサリスが“ジャズのラッパ”を聴かせることができるのは,ジャズそのものを良く知っているからであり,ウイントンならトランペットに限らず,他の楽器をプレイしたとしても素晴らしいジャズを聴かせることができるだろう。
その証拠は,本CDの随所でジャズ特有のフレージング,ハーモニー,とりわけアドリブの冴えがほとばしっていることから明らかである。
最後に『ウイントン・マルサリスの肖像』を通じたウイントン最大の功績は“ウイントン・キッズ”なる次世代の若手をメインストリ−ム・ジャズに向かわせたことにある。
だからこそ,ウイントン・マルサリスのジャズが好きであろうとなかろうと,現代のジャズ・ファン全てはウイントン・マルサリスに感謝すべきなのである。
もし『ウイントン・マルサリスの肖像』の発表がなければ,今夜も過去の遺産ばかりに注目していたのかもしれないのだから…。
(1981年録音/SRCS7482)

本当にウィントン・マルサリスがシーンに登場していなかったら、今のメインストリーム・ジャズはどうなっていたかな?と私も時々思います。ウィントンの功績はあまりにも大きいですから・・
その存在が偉大なゆえに、賛否両論の対象になるのかな・・とも思います。
結局、時代はウィントンを必要としていたのかな〜なんて勝手に思ったりもしています(^o^)