UNIT STRUCTURES-1 『UNIT STRUCTURES』(以下『ユニット・ストラクチャーズ』)は,印象的なジャケット通りの「音絵巻」。
 『ユニット・ストラクチャーズ』の「音絵巻」にはセシル・テイラーのこれまでの鍛錬の全てが,そしてフリージャズの歴史の全てが「巻かれている」!

 そう。『ユニット・ストラクチャーズ』こそが「THIS IS FREE JAZZ」なのである。フリージャズを語るには避けて通ることのできない名盤中の名盤だと思っている。

 一般にフリージャズとは“自由”の意味が歪曲されてか,あるいは“デタラメな演奏”が強調されてか,即興的な演奏をイメージしがちだが,実はそうではない。
 フリージャズは突然変異のごとく自然発生的に生まれたジャズではなく,ハード・バップの限界をブレイクスルーするために,いわば必然的に,ハード・バップの延長線上に生まれたジャズフリージャズはモードの右腕なのだ。

 セシル・テイラーフリージャズに接すると,常にあるルール上で音楽が展開されていることが理解できる。ただし理解できるのは,適当にやっていないな,ということだけであって,明快に批評できるだけのまとまりを発見するには至らない。

 その特徴は『ユニット・ストラクチャーズ』に顕著であって『ユニット・ストラクチャーズ』を聴いていると「現代アート」を見せられているような感覚を抱く。抽象画とかオブジェとかを見せられた時の「これが一体何なのか…。これが果たして芸術なのか…」。この意味でセシル・テイラーこそ「真の前衛」なのである。

 セシル・テイラーの音楽には,常に枠みたいなものがあって,基本的にどの楽器もこの枠を出ることはない。この枠とは作曲部分であるとも言えるが,むしろセシル・テイラーの指示,と捉えた方が分かりやすい。
 先に『ユニット・ストラクチャーズ』を「音絵巻」と記したが『ユニット・ストラクチャーズ』の全4曲が組曲であるかのように構成されている。しかしそう単純な話ではない。その4曲とも曲の中にドラマがあって1曲1曲が組曲であるかのように構成されている。

 トラック毎にソロ・オーダーがあるのだが,フレージングは従来のバップの延長線にあるもので目新しいものではない。しかし,その使いまわされていたフレージングの組み合わせが革新的。
 通常であればソロ・オーダーは先のソロイストのフレージングにつながっていくものだが,セシル・テイラーは決してそれをやらない。敢えて先のフレージングとは異質なソロをオーダーしている。ブツ切りのソロを切り絵にし,張り絵にまとめ上げている。

 そう。『ユニット・ストラクチャーズ』の真実とは,セシル・テイラーの手による「コラージュ」。
 『ユニット・ストラクチャーズ』は,メンバー“絶唱”のソロに気を取られてはいけない。トラック毎に聴いてもいけない。なぜなら「木を見て森を見ず」になってしまうから。
 ナスカの地上絵を見るが如く,天空から地上を見渡すようなスケールの大きな感受性が必要なのだ。

UNIT STRUCTURES-2 管理人の結論。『ユニット・ストラクチャーズ批評

 事前に入念に書き記された,メロディでもなく,リズムでもない“断片的な音の奇声”が整然と迫ってくる。『ユニット・ストラクチャーズ』ほど“不自由な”フリージャズはない。ここにあるのはセシル・テイラーの掌の内における“自由”だけである。

 めくるめくアコースティック楽器の「コラージュ」=「音絵巻」を眺めるだけ。蜃気楼で出来た巨大な建造物=「音絵巻」を眺めるだけ。リスナーにできるのはただそれだけ。
 『ユニット・ストラクチャーズ』はリスナーを選ぶ。上記のような聴き方の出来るジャズ・ファンにとって『ユニット・ストラクチャーズ』以上にフリージャズしているアルバムはない。
 『ユニット・ストラクチャーズ』こそが「THIS IS FREE JAZZ」。フリージャズ名盤中の名盤であろう。

  01. STEPS
  02. ENTER, EVENING (SOFT LINE STRUCTURE)
  03. UNIT STRUCTURES〜AS OF A NOW〜SECTION
  04. TALES (8 WHISPS)

(ブルーノート/BLUE NOTE 1966年発売/TOCJ-6672)
(ライナーノーツ/セシル・テイラー,小川隆夫)

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