TILL WE HAVE FACES-1 『TILL WE HAVE FACES』(以下『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズ』)の真実とは『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズ』ではない。『ゲイリー・トーマス&テリ・リン・キャリントン・プレイ・“過激”スタンダーズ』である。

 そう。ハッキリ言って「目玉」であろうパット・メセニーは存在感なし。個人的にはあのゲイリー・トーマスとあのパット・メセニーの共演とあって超楽しみにしていたが『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズパット・メセニーに“たまにある”ハズレ盤となった。

 古くはオーネット・コールマンジョン・スコフィールド,最近でもブラッド・メルドーとの共演がそうであったように,当代随一の名前が並ぶ時に限ってパット・メセニーがコケル。これって共演者に惑わされているとしか思えない。

 パット・メセニーにとって,敵はゲイリー・トーマスだけでなかった。テリ・リン・キャリントンである。彼女のドラミングがエゲツナイ。テリ・リン・キャリントンパット・メセニーギターを切り刻んでいる。みじん切りである。

 冒頭の【ANGEL EYES】で今回の企画が終わりを迎えている。超美メロが崩壊している。これは【ANGEL EYES】ではない。【ANGEL EYES】とは認められない。
 このトラックはゲイリー・トーマステリ・リン・キャリントンの肉体派の大バトル。管理人には“拳銃の打ち合い”にしか聞こえない。

 前々作の『WHILE THE GATE IS OPEN』は素晴らしいスタンダード集であったが,その続編にあたる『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズ』は,非スタンダード集であり“過激”スタンダード集である。

TILL WE HAVE FACES-2 本当はそこまで悪い演奏ではないのだろう。ゲイリー・トーマステナーサックスはテクニカルでバッキバキ。いい音で鳴っている事実は認める。

 しかし「目玉」であるパット・メセニーの良さが死んでいる。「目玉」であるスタンダードの美メロが死んでいる。これではゲイリー・トーマス1人が元気であっても何ら意味がない。

 期待値が異常に高かった分,この企画はマイナスでしかない。やらない方が良かった。大物2人のキャリアに傷が付いてしまった。『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズ』の収穫はテリ・リン・キャリントンの大爆発だけである。

 大好きなゲイリー・トーマスと大好きなパット・メセニーの音が耳まで届いてはいるのだが,心は「上の空」状態。
 マイルス・デイビスの所のマリリン・マズールといい,女性ドラマー解放の時代到来,を感じたというのが『ゲイリー・トーマス&パット・メセニー・プレイ・スタンダーズ』を聴いた一番の感想である。

  01. Angel Eyes
  02. The Best Thing For You
  03. Lush Life
  04. Bye Bye Baby
  05. Lament
  06. Peace
  07. It's You Or No One
  08. You Don't Know What Love Is

(バンブー/BAMBOO 1992年発売/POCJ-1130)
(ライナーノーツ/成田正)

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