
そう。「バド・パウエルを聴く」という行為には「それ相当の覚悟」が求められると思っている。
そんな中,気軽に手を伸ばすことのできる唯一のアルバムがある。それが『BUD POWELL IN PARIS』(以下『バド・パウエル・イン・パリ』)である。
『バド・パウエル・イン・パリ』に関しては“狂おしいくらいの愛着”を感じてしまう。理由は“前期バド・パウエルからの反動”だと自覚している。
『バド・パウエル・イン・パリ』におけるバド・パウエルのジャズ・ピアノは,往年の鬼気迫る天才的な閃きとは正反対の,緊張を強いられることのない“馴染みの”ジャズ・ピアニストが弾く“馴染みの”ジャズ・スタンダード集の趣きがある。
肩の凝らないリラックスした演奏なのに,バド・パウエルのそれと分かる“一発の魅力”は保たれている。ミスタッチも多々目立つが溌剌とした明るさと勢いで全てを覆い尽くす温もりがある。
前期パウエルではヘッドフォンの前で“金縛り”にあってしまう管理人が『バド・パウエル・イン・パリ』では“寝転びながら”聴けちゃう。だからかえって耳ダンボ!
バド・パウエルのジャズ・スピリッツと少し枯れた味わいが管理人には妙にしっくりくる! 往年の近寄りがたい天才肌のジャズ・ピアノから親近感を感じる距離感のジャズ・ピアノが“ちょうど良い按配”ってやつなのです。
そんな“ちょうど良い按配”のバド・パウエルが【ハウ・ハイ・ザ・ムーン】【ディア・オールド・ストックホルム】【ボディ・アンド・ソウル】【ジョー・ドゥー】【サテン・ドール】の大スタンダード・ナンバーを演奏している。もうこの事実だけで十分じゃないですか!
オリジナルを弾かない『バド・パウエル・イン・パリ』への批判記事も出回っているようだが(『TIME WAITS − THE AMAZING BUD POWELL VOL.4』と『THE SCENE CHANGES − THE AMAZING BUD POWELL VOL.5』(以下『ザ・シーン・チェンジズ/ジ・アメイジング・バド・パウエル VOL.5』が全編オリジナル集だった)本来,バド・パウエルの本質とは「即興の美メロ弾き」。
バド・パウエルにとっては美メロのモチーフがオリジナルだろうとスタンダードだろうと関係ない。自分がメロメロになってピアノを弾ければそれ最高。
この流れで付け加えておくと,リズム隊が無名,特にドラムのカール・ドネルがうるさすぎる,という批判記事も多いようだがとんでもない。だったら『TIME WAITS − THE AMAZING BUD POWELL VOL.4』におけるフィリー・ジョー・ジョーンズはどうなんだ,というお話。
そんな的外れな批判を言う人はバド・パウエルが“天才”だということをちっとも分かっちゃいない人だから無視して結構。あるいは筋金入りの前期パウエル・ファンだから無視したら危ない?

でも聴き慣れてしまうとカール・ドネルのシンバルこそが『バド・パウエル・イン・パリ』の空気感を作り上げてしまっているようで大好きなのです。
試しにプリアンプのハイをカットして再生してみてください。きっと管理人と同じ不満を覚えるはず? だって“やんちゃな”バド・パウエルがひどく子供に思えてしまうから〜。
『バド・パウエル・イン・パリ』の“ちょうど良い按配”とは,絶妙なバランスの上に成り立っているものなのです。ゆえに前期パウエル・ファンがするであろう『バド・パウエル・イン・パリ』への批判は,後期パウエル・ファンの1人としては受け付けられません。
まっ,管理人もバド・パウエルは前期か後期か,と問われれば「前期」と答える1人なのですが…。ちゃんちゃん。
01. HOW HIGH THE MOON
02. DEAR OLD STOCKHOLM
03. BODY AND SOUL
04. JOR-DU
05. REETS AND I
06. SATIN DOLL
07. PARISIAN THOROUGHFARE
08. I CAN'T GET STARTED
09. LITTLE BENNY
10. INDIANA (BACK HOME AGAIN IN)
11. B-FLAT BLUES
(リプライス/REPRISE 1964年発売/WPCR-13188)
(紙ジャケット仕様)
(☆SHM−CD仕様)
(ライナーノーツ/レナード・フェザー,藤本史昭)
(紙ジャケット仕様)
(☆SHM−CD仕様)
(ライナーノーツ/レナード・フェザー,藤本史昭)