
トランペットのニコラス・ペイトン,テナー・サックス,アルト・サックス,バス・クラリネット,フルートのジェームス・カーター,トロンボーンのワイクリフ・ゴードン,ベースのレジナルド・ビールとロドニー・ウィテカー,ドラムのハーリン・ライリー,コンガのローランド・ゲレロ。
このビッグネームが横並びする圧! 大西順子って,もしやウイントン・マルサリスご用達のピアニストだったのか?
いやいやそんなことはない,と一旦は否定してみたが『バロック』を聴き進めるにつれ,大西順子が本当にウイントン・マルサリス級に感じてしまう。
大西順子に信念を感じる。その信念のもとに「やるべきことをメンバーに強制させる」パワーを感じる。
『バロック』なんて聴くんじゃなかった。もはや手放しで上原ひろみと山中千尋を称賛することなどできなくなった。
大西順子こそが,J−ジャズの女性ピアニストの頂点にいる。この事実を再認識させられてしまった気分がした。
まぁ,単純に大西順子と上原ひろみや山中千尋を比較するのは無意味であろう。
基本,上原ひろみは作曲家だし,山中千尋は編曲家である。そして大西順子はジャズの人である。それもセロニアス・モンクとチャールス・ミンガスの人である。音楽的な「生まれも育ちも」全然違っている。
そんな大西順子のアルバム・タイトルが『バロック』と来た。
芸術の世界では「バロック的である」という言い方は,かなりの褒め言葉として通っている。芸術に造詣の深い大西順子のこと,そう軽々しく『バロック』を名乗れないことは承知している。
その大西順子が自ら,アルバム・タイトルとして『バロック』と名付けたのは,かなりの自信作なのであろう。
ズバリ『バロック』の真髄とは,2010年版「フルカラーのビ・バップ」である。話題となった蜷川実花撮影によるジャケット写真通りの「多色刷りの音楽」である。大西順子が,覚悟を決めて“百花繚乱”舞い踊っている。一曲一曲が強烈な原色カラーを放っている。
『バロック』の楽曲のモチーフ,それは2010年のセロニアス・モンクであり2010年のチャールス・ミンガスであり2010年のウイントン・マルサリスである。
そして,その光源こそが2010年版「フルカラーのビ・バップ」であり,2010年版の大西順子の“ジャズ・ピアノ”なのである。
『バロック』からは,生半可な気持ちでは弾けない,高度なビ・バップ理論が聞こえてくる。ビ・バップは手強い。聴いて楽しいのはハード・バップの方である。
『バロック』で大西順子がチャンジした音楽とは“傾聴に値する”類まれなジャズの1枚だと思う。
ただし,凄いことは分かるが,ちょっと意味が分からず,取り残される自分もいる。置いてけぼりな管理人は,ぶったまげて,腰を抜かして,お口ポカーン。
だから管理人。『バロック』を1枚聴き通すのに10回はチャンジした。音楽に集中しようと思っても,何だか訳の分からない外国語口座を聴いている感じ? 冗談などではなく過去9回は途中で意識が飛んでしまった。

そう。『バロック』は“聴き手を選ぶ”名盤である。管理人は愛聴できていないから,残念ながら「選に洩れた」口である。
ここまで“高尚な”アルバムを作った大西順子のメンタルの強さに改めて圧倒されてしまう。1つの目標?理想?に向かって驀進している。
『バロック』は,現代社会,ジャズも含めて小手先の技術に翻弄されてる世界に対して,何か啓示を突きつけたような重さを持つアルバムである。
大西順子の重さと強さに,原始的な太古の昔からある力,生命力のような強さを感じてしまう。
01. Tutti
02. The Mother's (Where Johny Is)
03. The Threepenny Opera
04. Stardust
05. Meditations for a Pair of Wire Cutters
06. Flamingo
07. The Street Beat/52nd Street Theme
08. Memories of You
JUNKO ONISHI : Piano
NICHOLAS PAYTON : Trumpet
JAMES CARTER : Tenor Saxophone, Bass Clarinet, Alto Saxophone, Flute
WYCLIFFE GORDON : Trombone
REGINALD VEAL : Bass
RODNEY WHITAKER : Bass
HERLIN RILEY : Drums
ROLAND GUERRERO : Conga
(ヴァーヴ/VERVE 2010年発売/UCCJ-2081)