

あっ,こう言った紹介をしてしまうと,マル・ウォルドロンは生涯を通じて伴奏者をしていたように思われるかも…。
正確にはビリー・ホリディとアビー・リンカーンの伴奏者を務めていた逸話が,単に有名になり過ぎただけのこと。元来マル・ウォルドロンはチャールス・ミンガス寄りの“ハード・バッパー”なのである。
しかしその点は良く承知しているはずなのに,どうも「マル・ウォルドロン=伴奏者」の印象を拭えない。これにはマル自身のプレイ・スタイルが関係しているので,管理人が一方的に悪いわけではない,と思っている?
マル・ウォルドロンは,いつでも“控え目”にそっと音を合わせていく。これは相手がジャズ・ジャイアントであろうと無名の新人であろうと変わらない。フォーマットがトリオであってもクインテットであっても同じことである。
そう。マル・ウォルドロンは決して“自己主張しない”数少ないジャズメンなのである。マルは共演者の魅了を引き出す“ツボ”を心得ている。
そこで『LEFT ALONE』(以下『レフト・アローン』)! このCDは亡き女主人,ビリー・ホリディへ捧げた追悼盤。ビリー・ホリディの愛唱歌をマル・ウォルドロン流に仕上げている。
今回のマル・ウォルドロンのパートナーは,アルト・サックスのジャッキー・マクリーン。ちまたでは『レフト・アローン』はジャッキー・マクリーンを聴くためにこそある! という批評がよく論じられている。その主張に管理人も同感ではある。確かにジャッキー・マクリーン一世一代の“絶唱”に違いない。
しかしジャッキー・マクリーンの絶唱の背景に“名伴奏者”マルがいることを聴き逃してはならない。手馴れた“伴奏のプロ”がマクリーンの演奏をリードし,導いていく。完全に通り道を作っている。この朴訥とした“語り口”は間違いなくマル・ウォルドロン特有の世界なのである。
そう。『レフト・アローン』で“名伴奏者”マル・ウォルドロンが真にサポートするのは,ジャッキー・マクリーンでもビリー・ホリディでもなく“作・編曲者”としてのマル・ウォルドロン自身なのである。
“作・編曲者”としてのマルと共演する“名伴奏者”のマル! これが見事にハマッテいる。
純粋に“ピアニスト”としてのマル・ウォルドロンについても,2曲目以降のトリオで十分楽しめる。レベルの高いアドリブの連発に“ピアニスト”マル・ウォルドロンの実力が垣間見える。この確かな力量が,大物たちから“引っ張りダコ”の理由でもあろう。
(1960年録音/COCY-78641)

コメント
コメント一覧 (6)
マル・ウォルドロンのレフト・アローン、好きです。
学生時代に、アナログレコードでよく聞いてました。
iPodに入ってないので、最近聞けないのが残念です。
重複していたらゴメンなさい。
レフトアローン。
名曲中の名曲ですね、ビリーが歌うと余りの不幸感に重たさをかんじますが、この場合切なさを共有できるような感じで思わず蝋燭の炎を見入ってしまいそうです。
ファイブスポットのドルフィ−のマルはバッパーらしくて私も好きですよ。でもでも,やっぱり『LEFT ALONE』でしょ?
アナログレコードで聴く「レフト・アローン」とは…。シチュエーションを想像するだけで,これはもうたまりません。
あの「ブチッ」というスクラッチ・ノイズとマクリーンの共演を聴いていたなんて…。
私は残念ながら未体験。jamsession123goさんは幸せ者ですね。
「蝋燭の炎」って何て読むんですかぁ。後で辞書で調べて見ますけど…。
でもこの漢字(感じ?)いいですね。「レフトアローン」はワビサビの日本人のためのジャズ! 日本人で良かった!