
そして,この3人の奇才が奇跡の共演を果たした『GETZ/GILBERTO FEATURING ANTONIO CARLOS JOBIM』(以下『ゲッツ/ジルベルト』)こそがボサノヴァ界の「秘蔵っ子」であろう。
そう。『ゲッツ/ジルベルト』=ボサノヴァの将来を背負った広告塔=「THIS IS BOSSA NOVA」であって,元祖20世紀のワールド・ミュージック=ボサノヴァ“そのもの”である。
さて,ここまで読んで,不覚にもうなずいてしまったあなたは,もしや“ボサノヴァ好き”ではないのでは?
管理人の経験上“ツウ”たるもの,ボサノヴァの紹介として『ゲッツ/ジルベルト』を切り口として語られることを恐ろしく嫌う。ついつい過敏に反応して「だってスタン・ゲッツなんて,いてもいなくても関係ない。い〜や,スタン・ゲッツなんて邪魔なだけ。不要なのよ…」。
そんな世界中の“ボサノヴァ好き”を敵に回したくはないのだが,ここで管理人からの宣言がある。
『ゲッツ/ジルベルト』は,アントニオ・カルロス・ジョビンでもジョアン・ジルベルトでもなく(ついでにアストラッド・ジルベルトでもなく)スタン・ゲッツ名義の名盤である。
そう。『ゲッツ/ジルベルト』の真のリーダーはスタン・ゲッツ。スタン・ゲッツがこの世紀の大ヒット作&グラミー受賞作を牽引している。
その証拠に『ゲッツ/ジルベルト』から,スタン・ゲッツ抜きの音を想像できますか? 管理人にはできません。これがアントニオ・カルロス・ジョビン抜き,またはジョアン・ジルベルト抜きなら,何となく想像できてしまうのだが…。
( 誤解のないように補足しておきます。上記宣言は『ゲッツ/ジルベルト』限定のお話。スタン・ゲッツの“手を離れた後の”ボサノヴァ界の発展は,アントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトの両雄の“手塩”であるに違いありません。 )
この良くも悪くもスタン・ゲッツの「圧倒的な存在感」が,他のボサノヴァ・アルバムにはない『ゲッツ/ジルベルト』の強みでもあり,弱みでもある。
そもそもボサノヴァの美学たるもの“余計なソロなど必要としない”メロディ・ラインの完成度の高さにあると思っている。それなのに,スタン・ゲッツが饒舌なアドリブを決めまくっている。
『ゲッツ/ジルベルト』で生じた状況を(ボサノヴァがブラジル音楽であるだけに)本場サッカーに例えてセルジオ越後風に解説するならば,ボサノヴァ本来のプレー・スタイルとは,組織重視のヨーロッパ・サッカーであるべきだ。個人技で局面を打開しようとする南米育ちのテクニシャンは,ジーコには好まれるかもしれないがトルシエには嫌われる。
そう。スタン・ゲッツはボサノヴァという“枠”からはみ出た異端児である。
ワンマン・プレーのスタン・ゲッツに批判の声が多いのも事実である。しかしどうだろう。世界のどこであっても求められるストライカーとはスタン・ゲッツのようなストライカーなのでは? 最後の最後は“個人技の高さ”がものを言うのである。
管理人も『ゲッツ/ジルベルト』が,スタン・ゲッツの代表作などとは思っちゃいない。世評正しく,スタン・ゲッツは「クール・テナーの巨人」である。いいや,モダン・ジャズ史上「指折りのテナーマン」に違いない。
しかしスタン・ゲッツを何か1枚聴こうと思うと,真っ先に『ゲッツ/ジルベルト』に手が伸びてしまう事実。

ここでは簡単に述べるが,本物のクール・ジャズとは難解な音楽である。演奏レベルが高いことはすぐにでも分かる。ただ,どこがどうレベルが高いかと問われると説明するのが小難しい。
そう。雰囲気だけでは聴けない骨太のジャズ,自ずと敬遠し手が出しにくいジャズ,それがスタン・ゲッツのクール・ジャズである。
その点で『ゲッツ/ジルベルト』は都合がよい。スタン・ゲッツの「天下一品のアドリブ」が1フレーズに,短時間に凝縮されている。まるでバルセロナのメッシのように,スーパーサブとして後半の勝負所で登場しては得点を決めていく。
スタン・ゲッツの演奏にしては珍しく,努力を払わなくとも(手っ取り早く)すがすがしい気分に浸ることができる。正直,これはこれで素晴らしいことだと思っている。
無論,大名盤『ゲッツ/ジルベルト』には,ボサノヴァ本来の魅力も満ちている。
ナイロン弦・アコースティック・ギターをバチーダと呼ばれる独特の奏法で“ささやくように”歌う,ジョアン・ジルベルトの弾き語りであるとか,天才作曲家=アントニオ・カルロス・ジョビンによる,美しさと意外性を併せ持つコード進行の妙であるとか,俗に言う“ヘタウマ”なアストラッド・ジルベルトの癒やしのボーカルだとか…。
そう。人それぞれに感じる聴き方がある。ワンマン・プレーのスタン・ゲッツが,邪魔で不要で耳障りに感じる人もいると思う。でも“劇薬”スタン・ゲッツが加入して,初めて成立し確立されたボサノヴァが『ゲッツ/ジルベルト』なのだ。
何度聴いても新鮮さを失わない。飽きない。極めて豊かな音楽性はスタン・ゲッツの“功績”に違いない,と固く信じている。
01. The Girl From Ipanema
02. Doralice
03. P'ra Machuchar Meu Coracao
04. Desafinado
05. Corcovado
06. So Danco Samba
07. O Grande Amor
08. Vivo Sonhando
STAN GETZ : Tenor Saxophone
ANTONIO CARLOS JOBIM : Piano
JOAO GILBERTO : Guitar, Vocal
TOMMY WILLIAMS : Bass
MILTON BANANA : Drums
ASTRUD GILBERTO : Vocal
(ヴァーヴ/VERVE 1964年発売/UCGU-7031)
(☆SACDハイブリッド盤仕様)
(ライナーノーツ/スタン・ゲッツ,ジョアン・ジルベルト,ジーン・リーズ,オノ・セイゲン)
(☆SACDハイブリッド盤仕様)
(ライナーノーツ/スタン・ゲッツ,ジョアン・ジルベルト,ジーン・リーズ,オノ・セイゲン)
詩編8編 神の栄光と人の尊厳
チック・コリア・ニュー・トリオ 『過去,現在,未来』
コメント一覧 (4)
『ゲッツ/ジルベルト』でのスタン・ゲッツは,クールともホットとも違う「一撃必殺」ですよね。
最近はAORやPOPにも傾倒していたという理由で一般的にJazz Fusionと呼ばれるようなものは聴いていませんでした。まあ最も、ジャンルの区分けみたいなのは自分は好きじゃないんですけどね。そんな最近のちょっとしたブームとなっているのが、この【Getz/Gilberto】です!
第一印象は「ふーん、こんなもんね」っと随分上からの評価だったのですが、後から聴き込むうちにボディブローのように効いてくる感じ。これがボサノヴァ界最高傑作と呼ばれる所以なのでしょうか。
テーマを色んな楽器に演奏させるのにも関わらず、単調にならず様々な展開を見せる『The Girl from Ipanema』がヘビロテナンバーです。
なんてったってAstrud Gilbertoのボーカルが最高なのです。ただ歌っているだけなのに、それもJoao Gilbertoの後なのに。なぜあんなに新鮮に聴かせる事が出来るのでしょうか。本当に不思議です。
あ!後もう一つ報告です。Keith Jarrettの【Koln Concert】を聴きました。ちょうど今聴き終えたところです。
ちょっとこの出来すぎた完成度には恐怖心すら覚えます。この話の続きは【Koln Concert】批評にて。いつか白熱した語り合いができる日を楽しみにしています。
最後にもう一つ、もうこれ以上のピアノソロアルバムに出会える気がしません笑
AORにPOPにボサノヴァ。私も聞きますよ。でもCDはJAZZ/FUSIONしか買いません。『ゲッツ/ジルベルト』もスタン・ゲッツが歌っているのが大好きで,ジャズメンの演奏するボサノヴァにはゲッツでなくても惹かれています。
【イパネマの娘】は全てが上手く行った永遠の名演ですよねっ。
さて,そんなことよりキースにハマリましたか? 『ケルン・コンサート』は入門編としては最適ですね。あんなにも甘いメロディーにしてスリリングな展開はキースの中でも最上位に鎮座します。
でもキースの凄さを実感するは序の口です。本当にざっくざくと名演が続きます。そうしていつかは『パリ・コンサート』まで辿り着いてくださいませ。
『ケルン・コンサート』の系譜には『サンベア・コンサート』が続きます。BOXセットですが高くても聴く価値大有りですよっ。