
キース・ジャレットとは「アメリカン・カルテット」で,パット・メセニーとは「オーネット・コールマン」絡みの諸作で,チャーリー・ヘイデンのベースを聞いてきた。
「聴」ではなく「聞」で接してきたので,年月の割りには“浅い”付き合いである。印象としては「そう言われればいつもあいつらのそばにいたよなぁ」と思い出す類の“影の薄い”ダチ。“友達の友達”なのである。
こんな変な付き合いになってしまったのには訳がある。一方的に弁解させていただくと,それこそチャーリー・ヘイデンの演奏スタイルにあるのだが,チャーリー・ヘイデンは誰とでもすぐに馴染んでしまう“水溶性のベーシスト”。しかも何でもこなす“根っからのオールラウンダー”である。
そう。“八方美人のスタイルフリー”は,悪く言えば“没個性”。個性炸裂のジャズ界の中に身を置けば必然的に埋もれてしまう。特に魅力を感じないのだから“顔見知り”程度のまま何年も過ぎ去ってしまった。チャーリー・ヘイデンと親友気分の今にして思えば,何とももったいないことをしてきたものだ。
キース・ジャレットにしてもパット・メセニーにしても,チャーリー・ヘイデンといち早く親友関係を築いたジャズメンは皆,チャーリー・ヘイデンの持つ“順応性”に注目していたのだろう。
この“溶け込み上手”の才能こそ,バンドの“要”を担うベーシストにとっては,とりわけ重要なポイントである。
実際,チャーリー・ヘイデンのベースは,共演者と音楽について常に対話している。
チャーリー・ヘイデンのポリシーとは,テクニック云々を超越した次元で音楽そのものを“どう表現するか”にあるように思えてならない。“対話を重ねながら創り上げていく”ハーモニーの中に,一瞬きらめく,チャーリー・ヘイデン・オリジナルの味付けの妙! チャーリー・ヘイデンの加える“隠し味”が後から後から効いてくる。
そんな“対話型”のチャーリー・ヘイデンだけに,大人数よりも少人数,そして共演経験が増えれば増えるほど実力を発揮する。その代表作が『BEYOND THE MISSOURI SKY (SHORT STORY)』(以下『ミズーリの空高く』)である。
『ミズーリの空高く』で,管理人とチャーリー・ヘイデンとの距離が急速に縮まった。ついにチャーリー・ヘイデンの魅力的な特質を目の当たりにし,永遠の友になれた気がした瞬間であった。
『ミズーリの空高く』は,チャーリー・ヘイデンとパット・メセニーによる,アコースティック・デュオCD。
20年来の付き合いを持つ2人が,数年間2人きりで構想について語り合い,練り上げてきた。結果,当然のごとく“大傑作”の誕生である。
しかしそれでは言葉が足りない。これはジャズを越え音楽をも越えた“崇高な作品”と呼ばれて然るべきである。
『ミズーリの空高く』を1枚最後まで聴き終えるまでもなく1曲目から終始“魂を揺さぶられっぱなし”。
いつしか「自然って,地球って,宇宙って素晴らしい」。普段考えることの少ない「人生の本質を問われたかのような」感覚に陥ってしまう。本当はもっとじっくりと考えねばならない大切な事があるはずなのに…。そのことに十分気付いているはずなのに…。人間って何て愚かけかなのだろう…。
幸せだった子供時代の記憶が鮮明によみがえってくる。故郷や家族への愛が呼び覚まされる。そう言えば子供の頃って「ボーッ」と雲を眺めているのが好きだったよなぁ。明日,久しぶりに原っぱ横になってみるか…。
ウッド・ベースとアコースティック・ギターの音色が,自分では手を伸ばしても決して届かない「心の琴線」にまで達し“優しく撫で回してくる”。うれしい。このままずっと聴き続けていたい。音楽に心の底から感動している肌触りが残る。

元来,パット・メセニーの音楽はどれも映像的であるのだが『ミズーリの空高く』は,まだ見ぬ『ミズーリの空』を,なぜだか明確に思い浮かべることが出来る。ジャケット写真の“黄色の雲”を遠い昔の記憶として懐かしく感じてしまう。
この不思議な感覚は何? まるで上質な映画を観ているような気持ちになる。この辺りが『ミズーリの空高く』に付け足されたサブタイタル=『ショート・ストーリー』の所以であろう。
不要な音を徹底的に削ぎ落とし,本当に必要な一音勝負に出た“音の映像作家”パット・メセニー。そのパット・メセニーの音世界をキャッチし,音のパレットを共有しながら色付けに励むチャーリー・ヘイデン。2人がついに完成させたのが“音の空間美”そして“静寂のハーモニー”である。
暖かい音色と美しい響きを伴って,静かにゆっくりと音が,時が流れていく。幸福の本質とは何なのかを問いかけながら…。
“対話型”のチャーリー・ヘイデンは『ミズーリの空高く』において,共演者のパット・メセニーだけではなく,管理人にも“対話”を投げかけてきた。
チャーリー・ヘイデンに返す言葉はすでに準備できている。しかしその言葉は,もうしばらく,管理人の心の内にしまっておこうと思う。言葉を発した瞬間に『ミズーリの空高く』の美しさが色褪せてしまうようで怖くなる。やっと掴んだ幸せが,するりとこぼれ落ちてしまいそうで怖くなる。
言葉を越えた音楽がある。『ミズーリの空高く』はそんな1枚である。
01. Waltz for Ruth
02. Our Spanish Love Song
03. Message to a Friend
04. Two for the Road
05. First Song (for Ruth)
06. The Moon Is a Harsh Mistress
07. The Precious Jewel
08. He's Gone Away
09. The Moon Song
10. Tears of Rain
11. Cinema Paradiso (love theme)
12. Cinema Paradiso (main theme)
13. Spiritual
(ヴァーヴ/VERVE 1997年発売/POCJ-1365)
(デジパック仕様)
(ライナーノーツ/チャーリー・ヘイデン,パット・メセニー,成田正)
(デジパック仕様)
(ライナーノーツ/チャーリー・ヘイデン,パット・メセニー,成田正)
コメント
コメント一覧 (8)
名作の登場ですね。この作品は私も大好きです。『言葉を越えた音楽・・・』まさにその通りです。
以前、この作品を知り合いに紹介して、しばらくしてから合った時にいきなり両手で握手をされて、さらに少し潤んだ目で「いやァ感動した!」と言われたことがあります。もともとオーバーアクションの人ではあるんですが。それでも私も含めて人を感動させる音楽ってそうそうは無いですよね。
興味深いエピソードですね。私も病気の人のお見舞いがてら『ミズーリの空高く』をお貸しした時に似たような経験をした記憶があります。高熱からの回復でした。
私にとって『ミズーリの空高く』は,ありふれた感動作とは異次元の“真の感動作”です。
ヘイデンという人は、こんな凄い人たちにあわせる事が出来るのだから、やはり凄い人なのだと思います。常々天才という人たちには「こんな才能があって羨ましい」という嫉妬を感じていますが、そういう沢山の天才達と共演できる人というのも、脇役だとは言え羨ましいです。脇役でも良いからなにか大きな仕事、価値ある仕事に関わりたいですね。
ヘイデン=和仁さんなのでは? 私も和仁さん(ヘイデン)のように,キースとメセニーのそばで仕事したかったです。←あっ,思ったこともありませんよ。
でもせめて最高のファンになりたい。憧れの2人をせっせっとレビューするだけです。キースとメセニーを褒め称える仕事をこれからも続けていきます。和仁さんも?
「カルテット・ウエスト」はアーニー・ワッツとの対話の成果です。BLUE LIFEさんもヘイデンで「カルテット・ウエスト」を挙げるあたり,かなりの渋好みですね。私も渋いの好きですよっ。
この作品でも、「Hadenのフレーズは水墨画」なんていう批評を書いておりますが(^^ゞTBさせて頂きますので、お時間ありましたら覗いてやってください。宜しくお願い致します。
「Hadenのフレーズは水墨画」。またまたウイットに富んだ名言です。レビューの濃さに引き込まれてしまいました。
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