
“ジャズメン”渡辺貞夫の音楽に触れて心の底から真に幸福を感じた。
“世界のナベサダ”である。御年76歳である。通算70枚目である。6年ぶりの新録である。渡辺貞夫の素晴らしいキャリアをして,まだまだ衰えぬ創作意欲。 大ベテランなのだから気心知れたビッグ・ネームたちとジャズ・スタンダードでも吹き込んでも良さそうなのに…。
2000年以降はカメルーンの“天才ベーシスト”リチャード・ボナとのコラボ3作。そして今回の『イントゥ・トゥモロー』では,ピアノのジェラルド・クレイトン,ベースのベン・ウィリアムス,ドラムのジョナサン・ブレイクのNYの若手3名とのコラボである。テイストとしては『パーカーズ・ムード』リターンズなのである。
『イントゥ・トゥモロー』で聴こえるナベサダのフレーズが若い。孫ほど年の離れた“旬の若手”に溶け込んでいる。ナベサダのチャレンジは今もフツフツと続いていたのだ。
そう。『イントゥ・トゥモロー』には“現在進行形”の渡辺貞夫が記録されている。定位置に安住することを拒み続け常に高みを目指す“少年の心”が記録されている。
『イントゥ・トゥモロー』は,ピュアなアコースティック・ジャズであり“静かな”4ビートが主役である。
“静かな”4ビートと書いたのには3つの理由がある。その1つはジェラルド・クレイトン,ベン・ウィリアムス,ジョナサン・ブレイクの“若手らしからぬ”円熟の演奏力である。
渡辺貞夫のやりたいことを理解して渡辺貞夫に“寄り添う”付かず離れずの演奏はベテラン顔負け? 何でも出来るテクニックであるはずなのに,超絶技巧をひけらかすことなく,しゃしゃり出ず「ナベサダ・ジャズ」を主役に据えている。
パワーや勢いでグイグイ来るのではなく若手に似つかぬ“奇をてらわない”アドルブ。手数の少ない“いぶし銀な”アドルブ。そんな円熟の演奏力が相まって“歌心ある4ビート”が真っ直ぐに伝わってくる。いい演奏だと思う。この若手3人の演奏力に満足感や充実感を覚えてしまう。
“静かな”4ビート。その2つ目の理由はジャケット写真。『イントゥ・トゥモロー』のジャケット写真にECMをイメージしてしまう。実に清らかなライト・ブルー。渡辺貞夫に「菩薩の霊」が乗り移る。シンプルだがセンスを感じるヨーロピアン・ジャズのようなジャケット写真。
『イントゥ・トゥモロー』のジャケット写真に「音楽の桃源郷への招待状」を思い重ねる。
“静かな”4ビート。その3つ目の理由は“やっぱり”ナベサダのアルト・サックスの美しさ。どんなに哀しい曲であっても慰めを受ける。希望を抱ける“陽だまり”のような“ポカポカ”な世界一美しいアルトの音色。
この美しい音色にヨーロピアン・ジャズをイメージするのかもしれないが,颯爽と吹き抜けるフレージングに渡辺貞夫の人柄を感じる。何があってもどんな時でも満面の笑み。“静かに”笑っていてくれるだけで救われる思いがする。

(ソニー・ロリンズ,ジョン・コルトレーンは別格として)矢野沙織が好きだ。本田雅人が好きだ。ウェイン・ショーターが好きだ。デヴィッド・サンボーンが好きだ。ケニー・ギャレットが好きだ。
この5人と比べると渡辺貞夫は,正直,そうでもなかった。でも『イントゥ・トゥモロー』を聴いて強烈に次のことを意識した。管理人のソバにはいつでも渡辺貞夫がいた。うれしい時も悲しい時も,山あり谷あり,渡辺貞夫を聴いて育った。
管理人の残りの人生のワン・シーンにもきっと渡辺貞夫がいてくれる。部屋の隅っこ,散らかった山積みCDの一番下からでも優しく見守っていてくれる。何の変化もない退屈な日常にも流れている。暮らしの音としての渡辺貞夫…。
こんなジャズメンと出会えたなんて,何と素敵なことだろう…。何と幸せなことなのだろう…。音楽って素晴らしい…。
『イントゥ・トゥモロー』は『パーカーズ・ムード』には及ばない。『エリス』の感動には到底及ばない。でもじんわり来る。他の何物にもなくじんわり来る。
『イントゥ・トゥモロー』こそ,管理人指折りの愛聴盤である。
01. Butterfly
02. Tree Tops
03. Study in Pit Inn
04. If I Could
05. Times Ago (For Tibetan People)
06. What Second Line
07. Not Quite a Samba
08. Song of May
09. Itapua (On the Beach)
10. Train Samba
11. Into Tomorrow
(ビクター/JVC 2009年発売/VICJ-61608)
(ライナーノーツ/渡辺貞夫)
(ライナーノーツ/渡辺貞夫)