ジャズ・メッセンジャーズにおけるアート・ブレイキーの役割には2つある。
1つにはバンド・マスター。ただしバンマスとしてのアート・ブレイキーは「人間関係」におけるリーダー・シップに限られる。音楽的にはアート・ブレイキーが指名した「音楽監督」がリーダー・シップを担っている。年下の若造に自由に演らせてもバンド内不協和音が起きないのは,バンマス=アート・ブレイキーの統率力にある。
ジャズ・メッセンジャーズにおけるアート・ブレイキーの2つ目の役割が,ジャズ・メッセンジャーズの名ドラマー。
多くはジャズ・メッセンジャーズが誇る若きフロント陣を支えつつ煽る。煽りまくる。そして時折聴かせるドラム・ソロ。アート・ブレイキーがソロをとれば,すなわちジャズ・メッセンジャーズのハイライト。「ナイアガラ瀑布」と称賛される唯一無二の大迫力。とにかく最高。これぞジャズを聴く醍醐味の1つで間違いない。アート・ブレイキーの爆発的なドラム・ソロに導かれ,ジャズ・メッセンジャーズが圧倒的なエネルギーを放出しながら突き進む〜。
そんなジャズ・メッセンジャーズにおけるアート・ブレイキーの2つの役割が同時に色濃く楽しめるアルバムがある。それがリー・モーガン&ウェイン・ショーターの2管編成時代の大名盤『A NIGHT IN TUNISIA』(以下『チュニジアの夜』)である。
ズバリ『チュニジアの夜』の聴き所は“ド派手な”ハード・バップ&ファンキーと来るべきモードの融合である。
良く使われる言い回しだが「果物は熟れる直前が一番おいしい」ようにモードも「熟れる直前が一番おいしい」。コードからモードへの一大変革期の“美味”が『チュニジアの夜』にぎっしりと詰め込まれている。
ゆえにリスナーの求められているのは『チュニジアの夜』を繰り返し聴き込み,粘り強く冷静に分析する作業のみ。ただしこの「分析作業」がどうしてもできない。難しい。
タイトル・トラック【チュニジアの夜】におけるあの一発。アート・ブレイキーのドラムを“しばき上げたかのような”最初の一発が管理人の脳天をも直撃。衝撃でそのまま頭ボーッ。残りの4曲は癒しのBGMなのである。本当は2曲目以降がウェイン・ショーター色が強くて“美味”なのに,2曲目−5曲目まで息苦しくて辿り着けないのである。
他のモーダルな4トラックとは異なり【チュニジアの夜】だけは,ウェイン・ショーター“演じる”ハード・バップ・テナーである。ウェイン・ショーターが全力で“浮揚しながら”ハード・バップ・コンボだった頃のジャズ・メッセンジャーズに短いリフで音を合わせている。
そうなった理由は【チュニジアの夜】がジャズ・メッセンジャーズの「オハコ」だったから。“神童”と称されたリー・モーガンと“申し子”と称されたボビー・ティモンズの良さが最高に生きる「オハコ」フォーマットの中でウェイン・ショーターもハード・バップ・テナーを“演じて”みせる。
しかし,そんなウェイン・ショーターがこれまた良い。レスター・ヤング〜ソニー・ロリンズ〜ジョン・コルトレーンを研究して,まずはバップ・テナーとして評価されてきたウェイン・ショーターの集大成的な名演が楽しめる。あのウェイン・ショーターが,冷静さを失いただただ本能に任せてブローしている。これがファンキーしているところがいいんだよなぁ。最高。
『チュニジアの夜』をこんな感じで“斜めから”聴き込んできたものだから,ジャズ・メッセンジャーズの2大スターであったリー・モーガンとボビー・ティモンズがモーダルに弾く【シンシアリー・ダイアナ】【ソー・タイアード】【ヤマ】【小僧のワルツ】の新鮮さが薄れない。
あっ,この4トラックが今でも新鮮なのは【チュニジアの夜】で頭ボーッ。今でも残る素敵な後遺症なのです。
管理人の結論。『チュニジアの夜』批評。
“ド派手な”ハード・バップ&ファンキーと来るべきモードの融合作である『チュニジアの夜』であるが「モード」という言葉なしで『チュニジアの夜』を語ることはできても「ファンキー」という言葉なしに『チュニジアの夜』は語れないように思う。
NO。『チュニジアの夜』の魅力を表現するのに一番“しっくり”くる言葉は,モードでもファンキーでもなく「ロック」であろう。
そう。『チュニジアの夜』はジャズ界随一の「ロックンロール」作。とにかく凄い。超カッコイイ。ジャズってロック以上に激しい音楽なのです。
01. A NIGHT IN TUNISIA
02. SINCERELY DIANA
03. SO TIRED
04. YAMA
05. KOZO'S WALTZ
1つにはバンド・マスター。ただしバンマスとしてのアート・ブレイキーは「人間関係」におけるリーダー・シップに限られる。音楽的にはアート・ブレイキーが指名した「音楽監督」がリーダー・シップを担っている。年下の若造に自由に演らせてもバンド内不協和音が起きないのは,バンマス=アート・ブレイキーの統率力にある。
ジャズ・メッセンジャーズにおけるアート・ブレイキーの2つ目の役割が,ジャズ・メッセンジャーズの名ドラマー。
多くはジャズ・メッセンジャーズが誇る若きフロント陣を支えつつ煽る。煽りまくる。そして時折聴かせるドラム・ソロ。アート・ブレイキーがソロをとれば,すなわちジャズ・メッセンジャーズのハイライト。「ナイアガラ瀑布」と称賛される唯一無二の大迫力。とにかく最高。これぞジャズを聴く醍醐味の1つで間違いない。アート・ブレイキーの爆発的なドラム・ソロに導かれ,ジャズ・メッセンジャーズが圧倒的なエネルギーを放出しながら突き進む〜。
そんなジャズ・メッセンジャーズにおけるアート・ブレイキーの2つの役割が同時に色濃く楽しめるアルバムがある。それがリー・モーガン&ウェイン・ショーターの2管編成時代の大名盤『A NIGHT IN TUNISIA』(以下『チュニジアの夜』)である。
ズバリ『チュニジアの夜』の聴き所は“ド派手な”ハード・バップ&ファンキーと来るべきモードの融合である。
良く使われる言い回しだが「果物は熟れる直前が一番おいしい」ようにモードも「熟れる直前が一番おいしい」。コードからモードへの一大変革期の“美味”が『チュニジアの夜』にぎっしりと詰め込まれている。
ゆえにリスナーの求められているのは『チュニジアの夜』を繰り返し聴き込み,粘り強く冷静に分析する作業のみ。ただしこの「分析作業」がどうしてもできない。難しい。
タイトル・トラック【チュニジアの夜】におけるあの一発。アート・ブレイキーのドラムを“しばき上げたかのような”最初の一発が管理人の脳天をも直撃。衝撃でそのまま頭ボーッ。残りの4曲は癒しのBGMなのである。本当は2曲目以降がウェイン・ショーター色が強くて“美味”なのに,2曲目−5曲目まで息苦しくて辿り着けないのである。
他のモーダルな4トラックとは異なり【チュニジアの夜】だけは,ウェイン・ショーター“演じる”ハード・バップ・テナーである。ウェイン・ショーターが全力で“浮揚しながら”ハード・バップ・コンボだった頃のジャズ・メッセンジャーズに短いリフで音を合わせている。
そうなった理由は【チュニジアの夜】がジャズ・メッセンジャーズの「オハコ」だったから。“神童”と称されたリー・モーガンと“申し子”と称されたボビー・ティモンズの良さが最高に生きる「オハコ」フォーマットの中でウェイン・ショーターもハード・バップ・テナーを“演じて”みせる。
しかし,そんなウェイン・ショーターがこれまた良い。レスター・ヤング〜ソニー・ロリンズ〜ジョン・コルトレーンを研究して,まずはバップ・テナーとして評価されてきたウェイン・ショーターの集大成的な名演が楽しめる。あのウェイン・ショーターが,冷静さを失いただただ本能に任せてブローしている。これがファンキーしているところがいいんだよなぁ。最高。
『チュニジアの夜』をこんな感じで“斜めから”聴き込んできたものだから,ジャズ・メッセンジャーズの2大スターであったリー・モーガンとボビー・ティモンズがモーダルに弾く【シンシアリー・ダイアナ】【ソー・タイアード】【ヤマ】【小僧のワルツ】の新鮮さが薄れない。
あっ,この4トラックが今でも新鮮なのは【チュニジアの夜】で頭ボーッ。今でも残る素敵な後遺症なのです。
管理人の結論。『チュニジアの夜』批評。
“ド派手な”ハード・バップ&ファンキーと来るべきモードの融合作である『チュニジアの夜』であるが「モード」という言葉なしで『チュニジアの夜』を語ることはできても「ファンキー」という言葉なしに『チュニジアの夜』は語れないように思う。
NO。『チュニジアの夜』の魅力を表現するのに一番“しっくり”くる言葉は,モードでもファンキーでもなく「ロック」であろう。
そう。『チュニジアの夜』はジャズ界随一の「ロックンロール」作。とにかく凄い。超カッコイイ。ジャズってロック以上に激しい音楽なのです。
01. A NIGHT IN TUNISIA
02. SINCERELY DIANA
03. SO TIRED
04. YAMA
05. KOZO'S WALTZ
(ブルーノート/BLUE NOTE 1960年発売/TOCJ-4049)
(ライナーノーツ/バーバラ・J・ガードナー,上條直之,後藤雅洋)
(ライナーノーツ/バーバラ・J・ガードナー,上條直之,後藤雅洋)
コメント一覧 (2)
白眼を向いてテナーを吹くショーターの映像が夢に出てきそうな程強烈ですが、トランペットが張り裂けんばかりのモーガンが矢張り本命でしょう。
ブレイキー御大の役割は2つある ←この語り口が目茶苦茶ジャズ・ファン気質ですねーっ!!
派手なトップ・シンバル一発“シャーーン!”と云うのが、運動会でのピストルの役割と同じです(笑)
ショーター名義のアルバムは、コルトレーン的な要素の為かクール過ぎるので、個人的にブレイキー御大のグループでのショーターが好きです。
モーガンという競争相手が居る事もあってか、不思議な感覚のフレーズを吹きつつも、本人名義のalbumより切れ味が鋭い気がします。
此方の「チュニジアの夜」は、口を開いたブレイキー御大が、力強く太鼓を叩きながら満面の笑顔を見せている姿が眼に浮かぶ演奏ですね!
「ブレイキー御大の役割は2つある」に喰いついたやまchanさんもジャズ・ファンですね。やっぱり&どうしてもこんな語り口になってしまっていけません。時に仕事に悪影響が出てしまいますが,こればかりはもう矯正不能とあきらめております。
さて,やまchanさんご指摘の通り3管編成前のジャズ・メッセンジャーズの主役はリー・モーガンであってショーターのテナーは霞みがちですね。
しかしショーター・フリークの私としては,ソロともマイルス・バンドやWRとも異なるJM時代のショーターが一番聴いていて面白いと思います。
コルトレーンに影響されまくっているショーターはここにしかいません。型にはめられたテナーなのにオンリー・ワンな個性全開。本当に面白い。「サイドメンを超えたサイドメン」の称号になるほどなのです。
重役待遇で自由にやらせたマイルスや対等なザビヌルとブレイキーのリーダー・シップ。ショーターの染まり具合は宇宙一だと思います。