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『ビル・エヴァンス・アット・タウン・ホール』に登壇したビル・エヴァンスは大スターである。
ビレッジ・バンガードなどのクラブでの演奏とは趣が違い,キャパ1500人の雰囲気がビル・エヴァンスに“格調高い”演奏へと向かわせている。
そう。場所はニューヨークのコンサート・ホール=「タウン・ホール」。一曲ごとの拍手が名演の雰囲気を大いに盛り上げている。
ビル・エヴァンス“初のリサイタル”にふさわしく『ビル・エヴァンス・アット・タウン・ホール』でのビル・エヴァンス・トリオはビル・エヴァンス「and more」(ベースのチャック・イスラエルさん,ドラムのアーノルド・ワイズさん,ごめんなさい。お二人の名サポートがあってこそのビル・エヴァンスの晴れ舞台でした)。
内省的な演奏はいつも通りなのだろうが,大スター=ビル・エヴァンスのピアノがホールの隅々にまで響き渡る堂々とした鳴りっぷり。ホール全体が知的でエレガントな雰囲気に満ちていく。ビル・エヴァンスのピアノ一色に染め上げられていく。ビル・エヴァンスのピアノに優しく包み込まれていく。もはや呼吸することさえも愛おしく感じられたに違いない。
ビル・エヴァンスのピアノが儚い。美しさの頂点を迎えている。そう。ビル・エヴァンスの“円熟”である。
「ピアノのロマンティスト」=ビル・エヴァンスの“真骨頂”が,大袈裟に言えば「リサイタルのハイライトにして人生のハイライト」=【ソロ:父,L.エヴァンス(1891〜1966)に捧ぐ】であろう。
全5トラックが連動している。【アイ・シュッド・ケア】→【スプリング・イズ・ヒア】→(大好きな)【フー・キャン・アイ・ターン・トゥ】→【メイク・サムワン・ハッピー】の前座4トラックが【ソロ:父,L.エヴァンス(1891〜1966)に捧ぐ】へとバトンを渡す。
世間では【ソロ:父,L.エヴァンス(1891〜1966)に捧ぐ】での演奏は,リサイタルの直前に亡くなった父,ハリー・L・エヴァンスに捧げたレクイエムのように扱われている。しかし,管理人の耳にはそうは聴こえない。
楽曲自体は4部構成の組曲であるが,情感の薄いテーマをモチーフとしたビル・エヴァンスのインプロビゼーション・ショーである。結果,美しいピアノの音色が広い会場全体に“淡々と”響き渡ってゆく。
そう。【ソロ:父,L.エヴァンス(1891〜1966)に捧ぐ】でのビル・エヴァンスは,ベースとドラムとのインタープレイから離れ,亡き父への感傷からも離れ“己の晴れ舞台”のハイライトとして1台のピアノと真正面から向き合っている。
13分43秒もの長尺のソロ・ピアノに無駄な瞬間など1秒足りとも無い。ビル・エヴァンスの“一心不乱”の集中力を感じる。繊細にして甘美なインプロビゼーション・ショーにも関わらず,ピアノのポテンシャルを100%引き出している。
そう。方法論としては完全なジャズなのだが,能力100%のピアノの音は完全にクラシックしている。構築美→構造美→格調→品格なのである。

感傷的ではなく理知的でしかも手馴れの即興演奏。自身の100%の演奏で亡き父を静かに送り出す。
『ビル・エヴァンス・アット・タウン・ホール』は“ジャズ・ピアニスト”ビル・エヴァンスのアルバムではない。“ジャズ・ジャイアント”ビル・エヴァンスのアルバムである。
PS 『ビル・エヴァンス・アット・タウン・ホール』の正式名称は『BILL EVANS AT TOWN HALL VOLUME ONE』。『VOLUME TWO』発売予定があったのでしょうが,後日別テイクとして3曲追加収録で終了。永久欠番これでよし。
01. I Should Care
02. Spring Is Here
03. Who Can I Turn To
04. Make Someone Happy
05. Solo-In Memory of His Father, Harry L. Evans, 1891-
1966
Prologue
Improvisation on Two Themes
Story Line
Turn Out The Stars
Epilogue
(ヴァーヴ/VERVE 1966年発売/UCCV-9341)
(ライナーノーツ/小川隆夫)
(紙ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/小川隆夫)
(紙ジャケット仕様)
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