
ビル・フリゼールを批評するつもりなら,必ずや『NASHVILLE』以前と『NASHVILLE』(以下『ナッシュビル』)以後について語らねばならない。『ナッシュビル』は,本気でビル・フリゼールを追いかけようと思う人の“試金石”ともなる1枚である。
『ナッシュビル』がダメな人でもガッカリする必要はない。きっとその人はビル・フリゼールのファンというよりもジャズ/フュージョン・ファンなだけである。
そう。『ナッシュビル』以降のソロ・ワークにおいて,ビル・フリゼールは“ジャズ・ギタリスト”としての看板を下ろしている。“ジャズ・ギタリスト”ビル・フリゼールとしての活動はポール・モチアン絡みを聴くのみ! こちらは超・物凄い〜!
『ナッシュビル』に漂う,アメリカン・カントリー系のフォーク・ギターの温もりは『ビフォア・ウィ・ワー・ボーン』で感じた絶頂感と真逆の快感! もうトロトロにとろけてしまう。カントリーでこんなにオーガニズムを感じるとは予想だにしなかった。個人的な衝撃作の最右翼である。

ビル・フリゼールが興味を持つ,あらゆる要素を取り込んだ“ごった煮”作業のレンジが広がったに過ぎない。「懐かしくて物悲しい」バック・サウンドをフィーチャーして,少し多めにカントリーに振れただけだと思う。完全にカントリーに行っていないのは,それこそビル・フリゼールの“バランス感覚の妙”であろう。
では『ナッシュビル』が好きな人。その人こそ“真の”ビル・フリゼール・ファンを名乗ってよい。管理人は「『ナッシュビル』好きはビル・フリゼール好き」をここで断言したい。
ビル・フリゼールの“雄大な音世界”で流れるジャズ・ギターの何と牧歌的なことだろう。無心になって&夢中になって『ナッシュビル』に入り込む。そこにはビル・フリゼールただ一人だけが存在する。心の中を100%ビル・フリゼールが占めている。こんな経験,管理人のフェイバリットであるキース・ジャレットやパット・メセニーのアルバムでもそう滅多にできる経験ではない。

キース・ジャレットやパット・メセニーの音楽には,天才が才に溺れない普段からの修練が見え透けてくる。キース・ジャレットとパット・メセニーは“天才”にして音楽が好きでたまらない音楽バカ丸出しである。音楽を創造していないと死んでしまうかのように感じられる節がある。
一方のビル・フリゼールは,自分の好きな音を理論を度外視にして自由に組み立てている。子供が好きなだけ楽器を鳴らしブロックを積み重ねているような感じ? 気負いが全く感じられない。ビル・フリゼールという人は山中千尋がそうであるように,自分をプロだと思っていないかのような“素人の凄み”が宿っている。
そう。ビル・フリゼールの『ナッシュビル』以後は,ECM時代の過激な実験を大満足のうちに終えたからこそリタイアできた,自分の趣味が毎回のテーマになっている!
だ・か・らビル・フリゼールの趣味に付き合う「『ナッシュビル』好きはビル・フリゼール好き」なのだ。

ビル・フリゼールは『ナッシュビル』以降が面白い。『ナッシュビル』以降こそが聴き所。『ナッシュビル』でビル・フリゼールはキャリアの頂点に達したと思う。
…とここまで書いておきながら…。管理人にとって『ナッシュビル』以降のビル・フリゼールは,どれも似たり寄ったりな感じがする。ビル・フリゼール自身『ナッシュビル』に“呪縛”のようなものを感じてはいないのか?
『ナッシュビル』以降のビル・フリゼールに駄盤なし。どれもが最高傑作レベルに違いなし。でも…。
ズバリ,管理人はビル・フリゼールという“ジャズ・ギタリスト”をビル・フリゼールのソロ作品から離れ,ポール・モチアン絡みで聴くことにしています。
01. GIMME A HOLLER
02. GO JAKE
03. ONE OF THESE DAYS
04. MR. MEMORY
05. BROTHER
06. WILL JESUS WASH THE BLOODSTAINS FROM
YOUR HANDS
07. KEEP YOUR EYES OPEN
08. PIPE DOWN
09. FAMILY
10. WE'RE NOT FROM AROUND HERE
11. DOGWOOD ACRES
12. SHUCKS
13. THE END OF THE WORLD
14. GONE
(ノンサッチ/NONESUCH 1997年発売/WPCR-5581)
(☆スリーブ・ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/熊谷美広)
(☆スリーブ・ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/熊谷美広)