名プロデューサー=ボブ・ジェームスは『DOUBLE VISION』(以下『ダブル・ヴィジョン』)で,なぜセルフ・プロデュースしなかったのだろう? その答えはトミー・リピューマであり,マーカス・ミラーである。
ズバリ,宣言しよう。『ダブル・ヴィジョン』は,ボブ・ジェームスとデヴィッド・サンボーン2人のコラボレーションではない。
『ダブル・ヴィジョン』の真実は『トリプル・ヴィジョン』! ボブ・ジェームスとデヴィッド・サンボーンの後ろから前に出てくるマーカス・ミラー! 『ダブル・ヴィジョン』の“上質感”はマーカス・ミラーのメロディアスなベース・ライン抜きには成立しない。
マーカス・ミラーのベース・ラインが“歌っている”から,ボブ・ジェームスもデヴィッド・サンボーンも,必要以上に弾きすぎない。
ボブ・ジェームスのエレピ・ソロは入念に譜面に書き込まれたかのように“エレガント”に響き,デヴィッド・サンボーンのアルト・ソロは“抑えに抑えた”エモーショナルな“むせび泣き”である。
そう。全てはマーカス・ミラーの五臓六腑の活躍にあり,全てはトミー・リピューマのお膳立てのおかげなのである。
『ダブル・ヴィジョン』の聴き所は,ボブ・ジェームス&デヴィッド・サンボーン&マーカス・ミラーが意識的に残した“無音空間”にある。余韻を味わう「大人のフュージョン」の誕生である。
ちょうどハービー・ハンコックが『処女航海』でジャズ界に「新主流派」を持ち込んだように,ボブ・ジェームスが『ダブル・ヴィジョン』でフュージョン界に“新主流派”を持ち込んだ。そんな感じ。
だ・か・ら・正直『ダブル・ヴィジョン』は,青春真っ盛りの管理人の耳には物足りなかった。「サンボーン・フリーク」の管理人としてはデヴィッド・サンボーンに『ダブル・ヴィジョン』の“予定調和”は似合わないと思っていた。思い込んでいた。
『ダブル・ヴィジョン』におけるデヴィッド・サンボーンは“サンボーン節”が単音の極み! デヴィッド・サンボーンがアルト・サックスを,静かに低域中心で芯のあるトーンを鳴らし続けている。これぞ「枯れ」であろう。
そう。管理人SAY。「サンボーンに渋目のムード・サックスは期待していませんから〜」であった。
管理人が『ダブル・ヴィジョン』を評価するようになったのは,近年のヴァーヴ移籍後のデヴィッド・サンボーンの変化を感じ取ってからのこと。アップ・ナンバーをやらないデヴィッド・サンボーンは評価できない,と思いつつ,耳を傾け続けたある日,近年のヴァーヴの緒作と『ダブル・ヴィジョン』がつながた。うわ〜。
管理人の結論。『ダブル・ヴィジョン』批評。
聴き始めの『ダブル・ヴィジョン』は肩透かし。しかし,しっとりとした音造りが聴き込むたびに良くなってくる。作り手の“気品”が伝わってくる。まどろみのツボをじんわりと押してくれるような心地良さで満ちている。
『ダブル・ヴィジョン』は,オーソドックスな楽曲をアレンジと演奏者のニュアンスによって色付けした「静と動」の名盤である。『ダブル・ヴィジョン』は,結構,聴き手を選ぶと思う。
01. MAPUTO
02. MORE THAN FRIENDS
03. MOON TUNE
04. SINCE I FELL FOR YOU
05. IT'S YOU
06. NEVER ENOUGH
07. YOU DON'T KNOW ME
ズバリ,宣言しよう。『ダブル・ヴィジョン』は,ボブ・ジェームスとデヴィッド・サンボーン2人のコラボレーションではない。
『ダブル・ヴィジョン』の真実は『トリプル・ヴィジョン』! ボブ・ジェームスとデヴィッド・サンボーンの後ろから前に出てくるマーカス・ミラー! 『ダブル・ヴィジョン』の“上質感”はマーカス・ミラーのメロディアスなベース・ライン抜きには成立しない。
マーカス・ミラーのベース・ラインが“歌っている”から,ボブ・ジェームスもデヴィッド・サンボーンも,必要以上に弾きすぎない。
ボブ・ジェームスのエレピ・ソロは入念に譜面に書き込まれたかのように“エレガント”に響き,デヴィッド・サンボーンのアルト・ソロは“抑えに抑えた”エモーショナルな“むせび泣き”である。
そう。全てはマーカス・ミラーの五臓六腑の活躍にあり,全てはトミー・リピューマのお膳立てのおかげなのである。
『ダブル・ヴィジョン』の聴き所は,ボブ・ジェームス&デヴィッド・サンボーン&マーカス・ミラーが意識的に残した“無音空間”にある。余韻を味わう「大人のフュージョン」の誕生である。
ちょうどハービー・ハンコックが『処女航海』でジャズ界に「新主流派」を持ち込んだように,ボブ・ジェームスが『ダブル・ヴィジョン』でフュージョン界に“新主流派”を持ち込んだ。そんな感じ。
だ・か・ら・正直『ダブル・ヴィジョン』は,青春真っ盛りの管理人の耳には物足りなかった。「サンボーン・フリーク」の管理人としてはデヴィッド・サンボーンに『ダブル・ヴィジョン』の“予定調和”は似合わないと思っていた。思い込んでいた。
『ダブル・ヴィジョン』におけるデヴィッド・サンボーンは“サンボーン節”が単音の極み! デヴィッド・サンボーンがアルト・サックスを,静かに低域中心で芯のあるトーンを鳴らし続けている。これぞ「枯れ」であろう。
そう。管理人SAY。「サンボーンに渋目のムード・サックスは期待していませんから〜」であった。
管理人が『ダブル・ヴィジョン』を評価するようになったのは,近年のヴァーヴ移籍後のデヴィッド・サンボーンの変化を感じ取ってからのこと。アップ・ナンバーをやらないデヴィッド・サンボーンは評価できない,と思いつつ,耳を傾け続けたある日,近年のヴァーヴの緒作と『ダブル・ヴィジョン』がつながた。うわ〜。
管理人の結論。『ダブル・ヴィジョン』批評。
聴き始めの『ダブル・ヴィジョン』は肩透かし。しかし,しっとりとした音造りが聴き込むたびに良くなってくる。作り手の“気品”が伝わってくる。まどろみのツボをじんわりと押してくれるような心地良さで満ちている。
『ダブル・ヴィジョン』は,オーソドックスな楽曲をアレンジと演奏者のニュアンスによって色付けした「静と動」の名盤である。『ダブル・ヴィジョン』は,結構,聴き手を選ぶと思う。
01. MAPUTO
02. MORE THAN FRIENDS
03. MOON TUNE
04. SINCE I FELL FOR YOU
05. IT'S YOU
06. NEVER ENOUGH
07. YOU DON'T KNOW ME
(ワーナー・ブラザーズ/WARNER BROTHERS 1986年発売/WPCP-3551)
(ライナーノーツ/松下佳男)
(ライナーノーツ/松下佳男)
コメント一覧 (4)
それぞれは好きだから、さらにポップを極めたサウンドを求めたんだなぁ・・・
それにしても、当時は神奈川・厚木の場末のレンタル店にこのLPがあったんだから、フュージョン・ブームだったんだね。
まだ宇田川のタワーレコードも輸入盤LP全盛時代・・・
もうサンボーンもボブもフュージョンはやらないんだろうなぁ。
2枚とも持っているとは『クァルテット・ヒューマン』も買ったんですか? 私も軽く試聴してみました。そのうち買おうと思いますがJAZZ度が上がっていたのにビックリです!
私も「ファンキー・サンボーンじゃないと派」なので『ダブル・ヴィジョン』のアルト・サックスは評価していませんが,もはやサンボーンは「枯れ」の境地なので,聴き込むと味わいがある〜。
もうサンボーンはFUSIONしないですがボブ爺はFOURPLAYでFUSION継続していますよ〜。
本作発表直後にボブの日本公演の模様がNHK-FMで放送していて、その時に帯同したカーク・ウェイラムが「Maputo」を吹いていました。
本作をしっかり聴いたのは、私がCDコンボを買った後なので、1990年頃だと記憶しているのですが、その時迄に聴き込んでいたウェイラム・バージョンと比べると、やっぱりサンボーンはアーバンだなぁ〜と感じました。
カーク・ウェイラムの「Maputo」に興味津々です。お宝エア・チェック・テープでしたね。
仰る通り,サンボーンがよりアーバンで決まりでしょうねっ。