
マジで偶然の巡り会わせ(現在アルファベット順にレビューを書いている途中なのですが「CANDY DULFER」の次が「CANNONBALL ADDERLEY」でして。手持ちのキャノンボール・アダレイのCDで一番リリースが古いのが『サムシン・エルス』だっただけ。管理人はあざといのは大嫌い!)。
しかし,この偶然が新年一発目に重なるとは何とも縁起が良い? 出来すぎじゃない? この偶然の巡り合わせに2014年はフュージョンではなくジャズに思い切り振れそうな予感が…。
さて,毎度言われていることだが『サムシン・エルス』はキャノンボール・アダレイ名義にしてキャノンボール・アダレイのリーダー・アルバムではない。『サムシン・エルス』はマイルス・デイビスのリーダー・アルバムである。
ゆえにキャノンボール・アダレイ批評に『サムシン・エルス』批評をラインナップするのは無理がある。
だから今夜はせっかくの“花形”(何と言っても「MODERN JAZZ BEST SELECTION」の第1位!)にもかかわらず,気が乗らないのでCD批評のショート・バージョンでお許しを…。
なぜ『サムシン・エルス』はマイルス・デイビスのリーダー・アルバムなのにキャノンボール・アダレイ名義になったのか? 理由はジャケットの一番下に印字されている「MILES DAVIS PERFORMS BY COURTESY OF COLUMBIA RECORDS』の文字に隠されている。
マイルス・デイビスは『サムシン・エルス』の録音時,コロンビアの専属であった。東映のスターが東宝映画に出ることができないのと同じようにコロンビアのスターがブルーノートにレコーディングすることなど許されない。
でも東映のスターが東宝映画に脇役であれば出演する? そんな感じで“親分”マイルス・デイビスが“子分”キャノンボール・アダレイの“サイドメン”としてレコーディングしたのが『サムシン・エルス』の真実なのである。
そう。『サムシン・エルス』の真の主演は“親分”マイルス。『サムシン・エルス』の【枯葉】【ラヴ・フォー・セール】【サムシン・エルス】【ワン・フォー・ダディ・オー】ではマイルスがキャノンボールを押しのけて,美味しいフレーズは全てマイルスが吹いている。主演なのだから当然である。
どうしても「マイルス主演説」に納得できないと言うならば,マイルス抜きの【ダンシング・イン・ザ・ダーク】を聴いてみてほしい。
ズバリ,マイルス抜きのキャノンボールのカルテット編成なのに,出てきた音はマイルス・デイビスそのものの音! これぞ『サムシン・エルス』をマイルス・デイビスのアルバムと主張する生きた証拠!
そう。薀蓄うんぬんを超えたレベルで『サムシン・エルス』の真の主演は“親分”マイルスなのである! キマッター!

ここだけの話,管理人にとって『サムシン・エルス』を聴くという行為は【枯葉】と【ラヴ・フォー・セール】の2トラックだけを聴く行為。
この何十年と【枯葉】と【ラヴ・フォー・セール】だけを目当てに『サムシン・エルス』を聴いてきた。ゆえにアルバム全体を批評するとなると自信もとない。残る3トラックはほとんど聞いた記憶がないのだから…。
ここ数日【サムシン・エルス】【ワン・フォー・ダディ・オー】【ダンシング・イン・ザ・ダーク】だけを聴いてみた。
ズバリ,管理人の結論。『サムシン・エルス』批評。
『サムシン・エルス』は,紛れもなく,マイルス・デイビスのリーダー・アルバムである。しかしキャノンボール・アダレイのリーダー・アルバムと呼んでも目くじらを立てる必要はない。
そう。マイルス・デイビスのサポートだけでは終わらない,キャノンボール・アダレイ“生涯の名演の1つ”に違いない。
『サムシン・エルス』を“喜んで”キャノンボール・アダレイ批評にカテゴライズしようと思います。
01. AUTUMN LEAVES
02. LOVE FOR SALE
03. SOMETHIN' ELSE
04. ONE FOR DADDY-O
05. DANCING IN THE DARK
(ブルーノート/BLUE NOTE 1958年発売/TOCJ-9001)
(紙ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/レナード・フェザー,岡崎正通)
(紙ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/レナード・フェザー,岡崎正通)