
日本風に言えば「上京」した理由は,大阪芸人の東京進出よろしく「全国区を目指す」的なニュアンスに思えるのだが,その真実は悲しい。音楽的な理由ではなく単純に“麻薬からの逃亡”であった。 百歩譲って音楽的な理由を探そうにも“衰退していくウエスト・コースト・ジャズからの逃亡”のように思う。沈みゆく泥船から逃げ出せ〜,が“廃人”チェット・ベイカーらしく思える。
そう。売人との縁切りと警察に逮捕される恐れ,そして仕事を失う恐れから物理的に逃れる手段としての“後ろ向きな”イースト・コースト進出なのだから,イースト・コーストのチェット・ベイカーが最高,などというレビューを読むとちゃんちゃらおかしくなってしまう。
環境の変化がチェット・ベイカーのトランペットに影響を与えたことは確かであろうが,それを語るのであれば“ハードバップの洗礼”であり“共演者の交代”と述べてほしい。
事実“大志なき”イースト・コーストのチェット・ベイカーの音楽的な変化は一過性のものであり,時間の経過と共に以前のスタイルに戻ってしまったのだから…。
そんな「逃げの」チェット・ベイカーの真実を知らずして誉めたたえている「にわかファン」の絶賛盤が『CHET BAKER IN NEW YORK』(以下『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』)。
「にわかファン」絶賛の理由は概ね,ゴリゴリのバッパーに扮したチェット・ベイカーの迫力,の類である。
『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』の聴き所は,表面上耳に残るであろう“硬派な”チェット・ベイカーの迫力ではない。チェット・ベイカーはトランペットを強く吹こうとすると粗さが目立ってしまうように思う。ヒーローはジョニー・グリフィンの方である。
チェット・ベイカーの聴き所はその逆であって,繊細なメロディ・ラインで紡いだアドリブ・ライン。西と東の“いい感じのブレンド感”がチェット・ベイカーのソフトな本質を浮かび上がらせている。
『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』における“硬派な”チェット・ベイカーの響きは,新しい種類の音楽に面して新しい自分が出た,とか,対応しきれずに素の自分が出た,でだろう。
今までの協調指向はそのままに対応しきれず吹きまくった“汗かき”の結果なのだと思う。

チェット・ベイカーが一皮むけたわけではない。対応しきれなかったのが吉と出ただけだ。
『チェット・ベイカー・イン・ニューヨーク』は,バランス感覚に秀でた音楽センスと天賦の才能を持て余していたチェット・ベイカーの本質を露わにした“結果オーライ”な名盤だと思っている。
01. FAIR WEATHER
02. POLKA DOTS AND MOONBEAMS
03. HOTEL 49
04. SOLAR
05. BLUE THOUGHTS
06. WHEN LIGHTS ARE LOW
07. SOFT WINDS
(リバーサイド/RIVERSIDE 1958年発売/VICJ-60494)
(紙ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/オリン・キープニュース,岡崎正通)
(紙ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/オリン・キープニュース,岡崎正通)