
【COME ON】収録の『THE SILENCE OF THE MOTION』(以下『サイレンス・オブ・ザ・モーション』)を聴いてみて,失敗したなぁ,と思ったファンも多かったのではないか?
なぜなら管理人がその一人だったからだ。プリズムのファンを公言している身としては『サイレンス・オブ・ザ・モーション』の存在が実にもどかしかった。なぜに今になって“ボーカリスト”渡辺建のフィーチャリングなのか〜!
『サイレンス・オブ・ザ・モーション』の鬼門は【COME ON】に加えて【SOMEBODY LIKE YOU】と【YOU’RE STILL DANCIN’】。
この渡辺建のボーカルを楽しむことが出来さえすれば『サイレンス・オブ・ザ・モーション』の“味”は格別であろう。
ドラマティックでファンタスティックな超絶技巧の「プログレ・フュージョン」の【SUSPENCIBLE THE FOURTH】で始まり,木村万作のドラミングに,ただただ聴き惚れてしまう【THE BALLROOM IN T.V】で締められる,プリズムらしい「充実の1枚」に違いない。
ただし渡辺建のボーカルという“そびえ立つ大岩”を乗り越えられる一般の音楽ファンは少数であろう。大半は渡辺建のボーカルに耳を背けて「お蔵入り」してもおかしくはない。プリズムを単なるフュージョン・バンドとして一蹴してしまうことだろう。
そうなればプリズムを“色眼鏡”で聴くことになるであろし,真実のプリズムの“味”を知る前に聴かなくなってしまう。
だ・か・ら・『サイレンス・オブ・ザ・モーション』でプリズムに初めて接したファンを気の毒に思うのだ。
では,根っからの「PRISMANIA」はどうなのか? これまた『サイレンス・オブ・ザ・モーション』が悩ましい。演奏は毎度毎度の最高レベル。曲も好き。なのに肝心の音色が…。
ズバリ『サイレンス・オブ・ザ・モーション』における和田アキラのギターが“リバーブ全開”。キラキラと輝くギター・サウンドが響きまくっている。
これには理由があって(深町純と松浦義和の脱退の経緯は詳しくはないが)『サイレンス・オブ・ザ・モーション』をもってデビュー以来のプリズム・サウンドを彩ってきた「キーボード・サウンドの誘惑」と決別することとなる。
そう。和田アキラにとって『サイレンス・オブ・ザ・モーション』は,次世代のプリズム=「渡辺建のボーカル+キーボードレスのスリーピース・バンド」への実験作であった。

ゆえに渡辺建のボーカルについての異論反論の大合唱は和田アキラにとっては痛手だったに違いない。キーボードを捨て去り,渡辺建のボーカルを控え目に用いることにした『マザーアース』での“チェンジ”までに3年もの歳月を有することなる。
管理人の結論。『サイレンス・オブ・ザ・モーション』批評。
『サイレンス・オブ・ザ・モーション』は,ギター・トリオ+渡辺建のボーカルと中途半端なキーボードを用いたプリズムの「過渡期」の記録である。
ただし,サウンドの変化を目にしても,それは表面的な変化であって『サイレンス・オブ・ザ・モーション』には,深い部分でプリズムとしてのDNAが感じられる。プリズムは何をやってもプリズムのままなのだ。
01. SUSPENCIBLE THE FOURTH
02. IN THE AFTERNOON
03. AND IN THE EVENING
04. COME ON
05. SOMEBODY LIKE YOU
06. OPPOSITELY MAYBE
07. THE CREW'S BLUES
08. STILL (BASS-SOLO)
09. YOU'RE STILL DANCIN'
10. THE BALLROOM IN T.V
(サウンズ・マーケッティング・システム/SOUNDS MARKETING SYSTEM 1987年発売/MD32-5112)
コメント一覧 (6)
読ませていただきました。
どこかのLiveでお会いしてますでしょうかね?
PRISMのLIVEを同じ会場で見たことがあったのかもしれませんね。
でもニアミスはあっても,はじめまして,のように思います。
8_1815さんのHP。覗かせていただきました。圧倒的な量と質ですね。
PRISMのプログレ/フュージョンが好きで,和田アキラの素敵な人柄が好きです。
いつかどこかの会場でニアミスではなくがっつりお会いしたいです!
レーベルとの契約の問題でAlbumがリリースできなくなりました。
アキラさんから聞きました。
深町さんは、
Albumを出せないのはアマチュアバンドだ。
僕はプロだからアマチュアとはやらない。
松浦さんは、
その頃菊池桃子とのバンドに専念するため。
ソッチのほうが儲かったんじゃない?
と聞きました。
建さんのヴォーカル対策ですが、
ワタクシは楽器の一種だと思って聴いております。
PRISMのLIVEのときに、ヴォーカルは求められていたのか?、必要だったのか?の話になったことがありました。
結論は、求められてもいなかったし、必要もあったとわ思わなかった。
でした。
プリズムに対する,深町さん,松浦さんの考えについては初めて聞きました。
ゆえになぜアルバムが出せない契約だったのか? その経緯がお分かりでしたら教えていただければと思います。
建さんのヴォーカル対策。私もそのように楽器の一種だと思って聴くことができればいいのですが,どうやってもスキャットのように聞くことができませんので…。
「ヴォーカルは求められてもいなかったし、必要もあったとわ思わなかった」は健さんファンとしては実に悲しい言葉ですが,それ以上に健さんのプリズムへの思い入れが薄まっていることの方が悲しい。
和田さんと健さんの2人だけが永遠のプリズム・メンバーだと思っているので…。
健さんあってのプリズムの黄金期だったことを伝えた〜い!
SMSレコードと契約満期か? 解除なのかまでは聞いてませんが、
他のレーベルとも契約できなくて、Albumが出せないという時期がこの時期だったかと。
PRISM暗黒の時代ってやつですね?
その頃は、アキラさん、万作さんは松岡直也Gでプレイしてて、(建さんはわかりません。)
で、1990年バンダイと契約ができてMOTHER EARTHがリリースができることになり、アキラさんも万作さんも松岡直也Gを脱退となったわけですね。
松岡さんは相当ショックだったと聞いたことがあります。
SMSとの縛りでしょうね。その話は聞いたことがあります。
でも,昔の渡辺香津美も同じような状況の時に『MOBO倶楽部』の快作を作っていますし,LIVEとサポート仕事への鬱憤が,アイディアの熟成と大名盤『マザーアース』へとつながったのだから,それはそれで良かったように思います。
でも松岡さんにとっては大ショックだったでしょうね。お気持ちを察します。