PEARLS-1 ジャズメンにとっての“憧れのフォーマット”が「ウィズ・ストリングス」であろう。
 ジャズ畑出身のデヴィッド・サンボーンなのだから,いつかは「ウィズ・ストリングス」という野望が頭の片隅にあったのかもしれない。

 しかし,ついに登場したデヴィッド・サンボーンの「ウィズ・ストリングス」アルバム『PEARLS』(以下『パールズ』)を聴いて,これはデヴィッド・サンボーンの意思ではなく,周りの人間がデヴィッド・サンボーンにセールス目当てで作らせたアルバムだと感じた。
 管理人の直感が正しかろうと間違っていようと,今となっては関係ない。そう感じてしまったことが全てである。だから『パールズ』の演奏自体は大名演なのだけど,好きという感情以前に「踏み込めない壁」というか「違和感」を感じてしまって…。

 そう。『パールズ』が“ジャズっぽくアウトしまくる”『アナザー・ハンド』の直後であれば,管理人もそれなりに納得できたと思う。しかし『パールズ』は『アップフロント』『ヒアセイ』での“アゲアゲ・サンボーン”の大ヒット直後…。予想外だった…。
 『アップフロント』『ヒアセイ』で“GROOVE”の楽しさを知ってしまったデヴィッド・サンボーンが,今更「ウィズ・ストリングス」に興味を持つとは思えなかった。
 だ〜って,メイシオ・パーカーが「ウィズ・ストリングス」に興味を持つとは思えないでしょ?

 デヴィッド・サンボーンというアルト・サックス・プレイヤーは,オリジナルを吹くにしてもカヴァーを吹くにしても,本質は所謂メロディー吹きである。
 その意味で『パールズ』のような,バラードスタンダードな「ウィズ・ストリングス」と来れば“ピシャリ”であろう。

 そう。『パールズ』が出来すぎている。「ウィズ・ストリングス」が出来すぎている。全ては“超大物”トミー・リピューマの音楽である。『ダブル・ヴィジョン』の頃のトミー・リピューマの音楽が“君臨”している。

 ゆえに『パールズ』のデヴィッド・サンボーンの役所は「一介のアルト・サックス・プレイヤー」にすぎない。“泣きのブロー”で叫べば叫ぶほど,デヴィッド・サンボーンの個性から離れてゆき「ウィズ・ストリングス」の美しさが際立つ算段である。

 ズバリ『パールズ』とは「ムーディーすぎる」バラード集であり,ポップスやジャズスタンダードの「甘すぎる」カヴァー集。
 管理人が『パールズ』に,デヴィッド・サンボーン以外の上からの力,を感じたのは『パールズ』のこのセッティングにある。

PEARLS-2 ではなぜデヴィッド・サンボーンはセールス目当てと分かった上で『パールズ』の企画に乗ったのだろうか?
 それはデヴィッド・サンボーンなしに,この豪華企画は成立しないと感じたからではないだろうか? あるいはこのゴージャスなバック・サウンドを他の誰にも渡したくない,という欲が出たのかもしれない。

 『パールズ』は『ダブル・ヴィジョン』の大成功があっての“渋目のムード・サックス”である。こんなにも美しく豊穣な「ウィズ・ストリングス」はデヴィッド・サンボーンでなければ作れやしない。
 「商業主義」の『パールズ』を認めるのはくやしいけれど『パールズ』は数ある「ウィズ・ストリングス」ものの中でも上位に来るべき優秀作品に違いない。

 管理人の結論。『パールズ批評

 『パールズ』での「ウィズ・ストリングス」は,デヴィッド・サンボーンにとっての「夢のアルバム」ではない。トミー・リピューマにとっての「夢のアルバム」なのである。

 ただし『パールズ』の真実とはトミー・リピューマの先にある。
 つまりはバラードスタンダードな「ウィズ・ストリングス」なんて絶対に演らないだろうと思っていた“サンボーン・キッズ”にとっても,これまた「夢のアルバム」なのである。

  01. WILLOW WEEP FOR ME
  02. TRY A LITTLE TENDERNESS
  03. SMOKE GETS IN YOUR EYES
  04. PEARLS
  05. FOR ALL WE KNOW
  06. COME RAIN OR COME SHINE
  07. THIS MASQUERADE
  08. EVERYTHING MUST CHANGE
  09. SUPERSTAR
  10. NOBODY DOES IT BETTER
  11. THE WATER IS WIDE

(エレクトラ/ELEKTRA 1995年発売/WPCR-215)
(ライナーノーツ/小川隆夫)

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