
何と言ってもデューイ・レッドマンは,管理人の愛するキース・ジャレット・アメリカン・カルテットのテナー・サックス・プレイヤー。加えて,これまた管理人の愛するパット・メセニーにとっても『80/81』から推し量るにマイケル・ブレッカーと同格の位置にいる。
…にも関わらず,世間での評価は余りにも低い。管理人とすればジャズの偉大なサックス奏者の歴史において“絶対に欠かすことのできない存在”であるが,世間的にはそうではないのだ。
追い込まれた管理人は,デューイ・レッドマンの偉大さを語るために,反則とは知りつつも,オーネット・コールマンの右腕であった事実やジョシュア・レッドマンの父である事実についても伝えるのだが,一向に響かない。
なぜなのだ。管理人だけがデューイ・レッドマンを「過大評価」しているのか? そうなのかもしれない。
でもそれでいい。あのキース・ジャレットが自分のレギュラー・バンドでフロントを任せたサックス奏者はデューイ・レッドマンとヤン・ガルバレクの2人だけ。個人的にはキース・ジャレットの絶頂期は,間違いなくアメリカン・カルテットでの活動であると信じている。
だからデューイ・レッドマンなのである。管理人にとってデューイ・レッドマンの存在が大きすぎる。
『AFRICAN VENUS』(以下『アフリカン・ヴィーナス』)は,デューイ・レッドマン晩年の日本企画盤。
どうやらこの『アフリカン・ヴィーナス』。純粋にデューイ・レッドマンのCDを作ろうとしたわけではなく,当時,話題沸騰中だったジョシュア・レッドマンを引っ張り出すための“バーター”としてのデューイ・レッドマンのリーダー・アルバムだったとは…。
マジでショックである。デューイ・レッドマンの市場価値とはジョシュア・レッドマンの父としてだけ? なんだかなぁ。

( というか“影の主役”ジョシュア・レッドマンの吹く「王道」が素晴らしすぎる。ここでのジョシュア・レッドマンの「覚醒」ぶりはマイケル・ブレッカー並み! )
ただし,根っ子の部分では,流石のジョシュア・レッドマンも「偉大なる父」を超えることができていない。これこそがキース・ジャレットが見ていたデューイ・レッドマンの本物であり,パット・メセニーが見ていたデューイ・レッドマンの本物であり,オーネット・コールマンが見ていたデューイ・レッドマンの本物なのであろう。
ズバリ,デューイ・レッドマンの本物とは「妖しさ」である。どうにも「情緒不安定」なテナー・サックスである。何を演りたいのか伝わりにくいユニークなフリー・ブローの“パッション”に持っていかれる。
01. AFRICAN VENUS
02. VENUS AND MARS
03. MR. SANDMAN
04. ECHO PRAYER
05. SATIN DOLL
06. TAKE THE "A" TRAIN
07. THE TURNE AROUND
(ヴィーナス/VENUS 1993年発売/TKCV-79013)
(ライナーノーツ/大村幸則)
(ライナーノーツ/大村幸則)