デクスター・ゴードンと言うと“ワンホーン”のイメージが強い。映画「ラウンド・ミッドナイト」での,椅子に腰掛けながらの演奏シーンがイメージとして強く残っているから。
映画「ラウンド・ミッドナイト」を見ていないデクスター・ゴードン・ファンの中にも,デックス=“ワンホーン”のイメージを抱いているのでなかろうか? なぜならデクスター・ゴードンの代表作である『GO!』や『OUR MAN IN PARIS』が“ワンホーン”だから。
しかしデクスター・ゴードンについて回る“ワンホーン”のイメージは単純に編成の問題ではない。デクスター・ゴードンは,いつでも,どんな編成で吹いても“ワンホーン”のデックスのままなのである。
『DOIN’ ALLRIGHT』(以下『ドゥーイン・オールライト』)を聴いてみて,デックス=“ワンホーン”と感じる理由を再認識することができた。
『ドゥーイン・オールライト』は,デクスター・ゴードンにしては貴重なトランペットのフレディ・ハバードとの2管フロント。
フレディ・ハバードの“パリッ”としたトランペットは超個性的であるが,その隣りで鳴り響く“男性的で野太くゴツゴツとした”デクスター・ゴードンのテナー・サックスの存在感たるや,王将格のトランペットを「捻りつぶして」しまっている。
ズバリ『ドゥーイン・オールライト』は事実上,2管ではなくデクスター・ゴードンの“ワンホーン”として楽しむべきアルバムである。
このように書くとソニー・ロリンズのような“ワンマン”を連想されるかも知れないが,デクスター・ゴードンはそうではない。あくまで“ワンマン”ではなく“ワンホーン”のデックスである。
デクスター・ゴードンのテナー・サックスが鳴れば,フレディ・ハバードのトランペットでさえハーモニー楽器に成り下がってしまう。
ソニー・ロリンズのような天才的なアドリブがあるわけではなく,ジョン・コルトレーンのような神々しさも無いのだが,明快で,颯爽としたテナーの胴鳴りを聴いていると「あっ,自分ってテナー・サックスに一番ジャズを感じてしまうんだな」と自覚させられてしまう。
この辺の感覚が“ジャズ・ジャイアント”の一人として,デクスター・ゴードンは「絶対に外せない」と思わせる魅力なのだと思う。
なんだかフランク・シナトラのようでもあり,一転して演歌歌手のようでもある。ビートに対してほんのわずか遅らせて吹くから,あのゆったりしたノリが出てくる。ディレイがかって聴こえる。そこが何とも言えないデクスター・ゴードン特有の“味”だと思う。
デクスター・ゴードン特有の“味”に,ピアノのホレス・パーラン,ベースのジョージ・タッカー,ドラムのアル・ヘアウッドが耳をそばだて聴き入っている。
デクスター・ゴードンの大らかなスケール感がトランペットのフレディ・ハバードをも説得し,場の空気を支配していく。
読者の皆さんにも『ドゥーイン・オールライト』におけるデクスター・ゴードンの「アメとムチ」を聴いてほしい。
デクスター・ゴードンの,ゆったりと包み込むようにブロウするテナー・サックスの“味”にハマってしまうと,ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンが繰り出す高速パッセージが,何だか無意味で過剰でせわしなく聴こえてしまうようになる。
改めて思う。デクスター・ゴードンほど“ワンホーン”が似合う男はいないのではなかろうか? デクスター・ゴードンの,太く豪快にして,ほろりとくるテナー・サックスがあれば,余計なものは要らないと思う。
そう。デクスター・ゴードンのテナー・サックスの中に“ワンホーン”の醍醐味が全部詰まっている。ずっと聴き続けていたい…。
01. I WAS DOING ALL RIGHT
02. YOU'VE CHANGED
03. FOR REGULARS ONLY
04. SOCIETY RED
05. IT'S YOU OR NO ONE
映画「ラウンド・ミッドナイト」を見ていないデクスター・ゴードン・ファンの中にも,デックス=“ワンホーン”のイメージを抱いているのでなかろうか? なぜならデクスター・ゴードンの代表作である『GO!』や『OUR MAN IN PARIS』が“ワンホーン”だから。
しかしデクスター・ゴードンについて回る“ワンホーン”のイメージは単純に編成の問題ではない。デクスター・ゴードンは,いつでも,どんな編成で吹いても“ワンホーン”のデックスのままなのである。
『DOIN’ ALLRIGHT』(以下『ドゥーイン・オールライト』)を聴いてみて,デックス=“ワンホーン”と感じる理由を再認識することができた。
『ドゥーイン・オールライト』は,デクスター・ゴードンにしては貴重なトランペットのフレディ・ハバードとの2管フロント。
フレディ・ハバードの“パリッ”としたトランペットは超個性的であるが,その隣りで鳴り響く“男性的で野太くゴツゴツとした”デクスター・ゴードンのテナー・サックスの存在感たるや,王将格のトランペットを「捻りつぶして」しまっている。
ズバリ『ドゥーイン・オールライト』は事実上,2管ではなくデクスター・ゴードンの“ワンホーン”として楽しむべきアルバムである。
このように書くとソニー・ロリンズのような“ワンマン”を連想されるかも知れないが,デクスター・ゴードンはそうではない。あくまで“ワンマン”ではなく“ワンホーン”のデックスである。
デクスター・ゴードンのテナー・サックスが鳴れば,フレディ・ハバードのトランペットでさえハーモニー楽器に成り下がってしまう。
ソニー・ロリンズのような天才的なアドリブがあるわけではなく,ジョン・コルトレーンのような神々しさも無いのだが,明快で,颯爽としたテナーの胴鳴りを聴いていると「あっ,自分ってテナー・サックスに一番ジャズを感じてしまうんだな」と自覚させられてしまう。
この辺の感覚が“ジャズ・ジャイアント”の一人として,デクスター・ゴードンは「絶対に外せない」と思わせる魅力なのだと思う。
なんだかフランク・シナトラのようでもあり,一転して演歌歌手のようでもある。ビートに対してほんのわずか遅らせて吹くから,あのゆったりしたノリが出てくる。ディレイがかって聴こえる。そこが何とも言えないデクスター・ゴードン特有の“味”だと思う。
デクスター・ゴードン特有の“味”に,ピアノのホレス・パーラン,ベースのジョージ・タッカー,ドラムのアル・ヘアウッドが耳をそばだて聴き入っている。
デクスター・ゴードンの大らかなスケール感がトランペットのフレディ・ハバードをも説得し,場の空気を支配していく。
読者の皆さんにも『ドゥーイン・オールライト』におけるデクスター・ゴードンの「アメとムチ」を聴いてほしい。
デクスター・ゴードンの,ゆったりと包み込むようにブロウするテナー・サックスの“味”にハマってしまうと,ソニー・ロリンズやジョン・コルトレーンが繰り出す高速パッセージが,何だか無意味で過剰でせわしなく聴こえてしまうようになる。
改めて思う。デクスター・ゴードンほど“ワンホーン”が似合う男はいないのではなかろうか? デクスター・ゴードンの,太く豪快にして,ほろりとくるテナー・サックスがあれば,余計なものは要らないと思う。
そう。デクスター・ゴードンのテナー・サックスの中に“ワンホーン”の醍醐味が全部詰まっている。ずっと聴き続けていたい…。
01. I WAS DOING ALL RIGHT
02. YOU'VE CHANGED
03. FOR REGULARS ONLY
04. SOCIETY RED
05. IT'S YOU OR NO ONE
(ブルーノート/BLUE NOTE 1961年発売/TOCJ-4077)
(ライナーノーツ/アイラ・ギトラー,後藤誠,辻昇)
(ライナーノーツ/アイラ・ギトラー,後藤誠,辻昇)