
いささか哲学的な思索的な感じが,これまたキース・ジャレットを想起させてもくれる。
現代最高のピアノ・トリオとして『SEVEN DAYS OF FALLING』で“天下を取った”「e.s.t.(エスビョルン・スヴェンソン・トリオ)」のモチベーションは,更なる世界での高みにではなく,再び自分たち自身の音楽性へと向けられている。
「e.s.t.」を聴いていてクラシック的な影響を大いに感じてしまったのが『ヴァイアティカム』であった。静寂と調和が完璧で美しいのだ。
そう。「e.s.t.」が世界的なジャズ・バンドと認められたがゆえに,過去を見つめ,現在を見つめ,未来を見つめ,これから歩むべき道を模索した作業に思えてならない。
そうして描かれた「深遠な音世界」が『ヴァイアティカム』に見事に凝縮されているように思う。
正直に語ると『ヴァイアティカム』の最初の印象は薄かった。これぞ北欧ジャズ的な,陰があって色彩感も温度感も低い曲が並んでいる。管理人が次の「e.s.t.」に期待する,ガツンと来るJAMっぽさが希薄であった。
でも『ヴァイアティカム』がつまらなかったのは,最初に聴いた数回だけだった。『ヴァイアティカム』を聴き込むにつれ,どんどんどんどん曲が姿を変えてくる。
例えば,ピアノが前に出てきた瞬間のベースとドラムの絡み方は,ポップスやロックやクラシックの様々なアプローチが垣間見えてくる。
ピアノやベースを歪ませ,そこにコーラスをかけたりエフェクトを多用するバンドであるが,実は「e.s.t.」の“電化”の真髄とはさりげないリバーブにあるように思う。
必殺リバーブをピアノ・トリオのフォーマットにこだわり,実験性を前面に押し出すことはなく必要最低限の効果で使っている。『ヴァイアティカム』はそんな音響系の細部の音造りが半端ない。音響の「プロ集団」仕様に仕上がっている。
その一方で「e.s.t.」のポリシーとは,アドリブにではなくアレンジにある,と何かの雑誌で読んだ記憶があるのだが,意外や意外,一聴して印象に残り難いが,エスビョルン・スヴェンソンは感性を研ぎ澄ました鋭いアドリブを要所要所に織り込んでいる。
どんなにポップでロックでクラシックして聴かせようとも,エスビョルン・スヴェンソンのアドリブは,紛れもなくジャズの“まんま”でうれしくなる。
エスビョルン・スヴェンソンのアドリブこそが,暗く重い『ヴァイアティカム』の中の“希望の光”なのである。

具体的などこかの場所でもなく過去でも未来でもない。2次元,3次元ではなく異次元な見知らぬ場所のような気がしている。
そんな『ヴァイアティカム』が導いた場所の答えが分かったのは,次作『TUESDAY WONDERLAND』を聴いた後のことである。
『TUESDAY WONDERLAND』で「e.s.t.」は,ジャズ・ピアノからの,そしてピアノ・トリオからの決別を宣言している。
そう。超絶技巧を抑え,余計な抑揚を抑え,楽曲の調和とアルバム全体の調和を目指した『ヴァイアティカム』は「e.s.t.」という最高峰のピアノ・トリオがジャズの世界に存在していたことの記録であり,ジャズの世界に最後に残した「爪痕」である。
エスビョルン・スヴェンソンの亡き今『ヴァイアティカム』の「爪痕」が『TUESDAY WONDERLAND』『LIVE IN HAMBURG』『LEUCOCYTE』『301』以上に“疼いている”。
01. Tide Of Trepidation
02. Eighty-eight Days In My Veins
03. The Well-wisher
04. The Unstable Table & The Infamous Fable
05. Viaticum
06. In The Tail Of Her Eye
07. Letter From The Leviathan
08. A Picture Of Doris Travelling With Boris
09. What Though The Way May Be Long
(ソニー/SUPER STUDIO GUL 2005年発売/SICP-764)
(ライナーノーツ/児山紀芳)
(ライナーノーツ/児山紀芳)
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