
最右翼はやっぱりファンキー・ジャズになるのかなぁ?
管理人がそう思うのは実体験があるからだ。1989年に発売された今津雅仁の『MASATO』の強烈な印象が忘れられないのだ。
新人と言ってもオッサンだった今津雅仁のセンセーションなデビューに衝撃を受けた。実際に『MASATO』を聴いた後,キャノンボール・アダレイの『THEM DIRTY BLUES』を買ってしまったっけ?
とにもかくにも「一期一会」のアドリブ一発の魅力にメロメロになった記憶がある。
今津雅仁はとにかく思いっ切りバリバリとテナー・サックスを吹き上げる。そこに理性とか構成とかは感じられない。本能的に思いつくがままにテナー・サックスをドライブさせている。
流暢に言葉をつくすよりも,ぶっきらぼうな言い回しのほうが伝わることがあるように,今津雅仁の「出たとこ勝負」のメロディアスが「瞬間芸術的」で聴いていて気分が高揚してくる。いいフレーズを聴く度に,管理人もガッツ・ポーズしてしまっている。
『MASATO』はスタジオ録音盤なのだけど,何度もテイクを重ねているとは思えない。最低限のリハーサルとレコーディングのチェックだけは確認しているけれど,イザ本番となると,その場その場のスタジオ・ライブ。
今津雅仁のテナー・サックスが,時折音程を外しているが,それもこれも全てをひっくるめて今津雅仁の“味”である。今津雅仁のテナー・サックスには全部OKにしてしまう“雰囲気”がある。
これってなんだろう。人を惹き付けてやまない魅力がある。ガッと掴まれては思わず聴きいってしまう魅力がある。何だか今まで聴いたことのない音が聴こえている。調子の悪
い時のソニー・ロリンズといった感じ?
いいや,絶好調のソニー・ロリンズでも今津雅仁ほどファンキーには吹けやしない。今津雅仁は「日本の最後の至宝」のように思っている。

なるほど,使っている楽器,リズム,音階,イントネーションなど語法的にはアメリカの「真似」かもしれないが,今津雅仁の日本語でテナーを聴いていると,そこそこの演奏でも,なんかこうしっくりくるものがある。「ははあ,なるほど」ってな感じ。
思うに,優れた日本人ジャズマンの演奏するジャズは「音が日本語」だからなんでしょう。彼らは片言の下手な英語なんかじゃなく,魂のこもった日本語で堂々とファンキー・ジャズを会話している。日本語「なまり」が入ったコテコテのファンキー・ジャズ。
今津雅仁の『MASATO』で,ファンキー・ジャズの楽しさ,を説得されてしまった。今津雅仁の日本語テナーの真髄とは“広島弁”あるいは“博多弁”のあれなのである。
01. FIRE BALL
02. VIOLET LOVE
03. ZOOM
04. SO LONG
05. LIKE FORREST
06. BAGDAD
07. DEAR HANK
MASATO IMAZU : Tenor Saxophone
HIDEAKI YOSHIOKA : Piano
TSUTOMU NUMAGAMI : Bass
HIRONOBU FUJISAWA : Drums
HIROSHI MURATA : Trumpet, Flugelhorn
(ファンハウス/FUN HOUSE 1989年発売/00FD-7126)
(ライナーノーツ/小川隆夫)
(ライナーノーツ/小川隆夫)
命を長らえさせるためにエジプトへ(創37:2-50:26)
青木カレン 『KAREN'S SWINGIN' PARTY』