管理人は昔は完全に「演奏派」であったが,最近,自分は「演奏の前に曲が好きなんだ」ということを自覚している。上原ひろみがピアノ科ではなく作曲科に進んだのは正解だよなぁ。
ジャズ界にも名作曲家が幾百人と存在するが,有名どころの名前が挙がって出尽くしたと思うタイミングで名を挙げると「おお,やるな」と思われる作曲家がいる。言わば管理人のとっておきの名作曲家がフレディ・レッドである。
ズバリ,フレディ・レッド紹介の枕詞はピアニストではなく作曲家である。管理人はフレディ・レッドは若さの盛りを過ぎてオジサンになってから聴いた。つまりジャズの名盤なるものを一通り聴いて後で,1000枚以上は聴いていたはずの耳にして「こんなにもキャッチーなジャズがあるなんて!」と感動したことを覚えている。
こうは書いてもフレディ・レッドの作る曲はホレス・シルヴァーとかベニー・ゴルソンのような「分かりやすい系」ではない。
事実『SHADES OF REDD』(以下『シェイズ・オブ・レッド』)の聴き所は,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの「陰りのあるフロントの味」であろう。このムードで吹けるフロントは,この組み合わせでないと出て来ないと思う。
ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの音色が重なった瞬間の幸福感を何と表現すれば良いのだろう。語彙の乏しい管理人は,言葉になる前に涙腺から涙がこぼれてくる感覚が実感としてある。
しかし,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの2人が揃えば,いつでもこんなムードで演奏できるというわけではない。曲である。
フレディ・レッドの作る曲があればこそ,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの「陰りのあるフロントの味」が爆発する。派手さやキャッチーさこそ物足りないが,じっくりと耳を傾けると全曲ドラマティックな展開で大サビが動いていく。
明るいテーマの中に何故か常に哀愁が漂うフレディ・レッドの世界観があるからこそ,粋でロマンティックでミステリアスなムードだからフロントの名演にアルフレッド・ライオンも魅了されたのだろう。
ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスというマイナー調の音色とフレージングを想定したかのようなズバ抜けた作曲センス。
仮にフレディ・レッドが「泣きの2管」の存在を想定していなかったとしても,個性の塊のようなジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスを結果“飲み込んでしまう”作曲能力は“桁外れの天才”である。
…って,ここまで“ジャズ・ピアニスト”としてのフレディ・レッドについては書いてこなかったが,正直,ピアニストとしてのフレディ・レッドは“味わい勝負”。
この辺りは先の上原ひろみとは差がありすぎる。ジャッキー・マクリーンと来ればマル・ウォルドロンだから,フレディ・レッドもマル・ウォルドロン・クラスとだけ書いておこう。
“味わい勝負”のフレディ・レッドのピアノは曲全体のアレンジの一部として機能していくピアノである。
音数の少なさが生み出す絶妙の間というかスペースが『シェイズ・オブ・レッド』を都会的なフレイバーで包み込んでいる。フロントが何処となくお洒落にまとまっているのは,和声と旋律をギリギリまで溶け合わせてしまった中性的なピアノによるところが案外大きい。
繊細で孤高なピアノマンのフレディ・レッド。フレディ・レッドが光り輝いているのは,プレイング・マネージャーとしてピアノを弾いている時間ではなく,ピアノの指を止めている「作・演出の裏方稼業」の時間なのである。
ブルーノートの大量名盤群の中でも独特の光を放っている『シェイズ・オブ・レッド』。
管理人は確信している。フレディ・レッドの大仕事とは,単なるピアニストでもなく単なる作曲家でもなく,共演者が生き自分も生きレーベルの個性も生きる「ブルーノートの総合演出家」であったと確信している。
あのデューク・ピアソンがいなければブルーノートのプロデューサーの椅子にはフレディ・レッドが座っていたと思っている。
01. THESPIAN
02. BLUES-BLUES-BLUES
03. SHADOWS
04. MELANIE
05. SWIFT
06. JUST A BALLAD FOR MY BABY
07. OLE
ジャズ界にも名作曲家が幾百人と存在するが,有名どころの名前が挙がって出尽くしたと思うタイミングで名を挙げると「おお,やるな」と思われる作曲家がいる。言わば管理人のとっておきの名作曲家がフレディ・レッドである。
ズバリ,フレディ・レッド紹介の枕詞はピアニストではなく作曲家である。管理人はフレディ・レッドは若さの盛りを過ぎてオジサンになってから聴いた。つまりジャズの名盤なるものを一通り聴いて後で,1000枚以上は聴いていたはずの耳にして「こんなにもキャッチーなジャズがあるなんて!」と感動したことを覚えている。
こうは書いてもフレディ・レッドの作る曲はホレス・シルヴァーとかベニー・ゴルソンのような「分かりやすい系」ではない。
事実『SHADES OF REDD』(以下『シェイズ・オブ・レッド』)の聴き所は,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの「陰りのあるフロントの味」であろう。このムードで吹けるフロントは,この組み合わせでないと出て来ないと思う。
ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの音色が重なった瞬間の幸福感を何と表現すれば良いのだろう。語彙の乏しい管理人は,言葉になる前に涙腺から涙がこぼれてくる感覚が実感としてある。
しかし,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの2人が揃えば,いつでもこんなムードで演奏できるというわけではない。曲である。
フレディ・レッドの作る曲があればこそ,ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスの「陰りのあるフロントの味」が爆発する。派手さやキャッチーさこそ物足りないが,じっくりと耳を傾けると全曲ドラマティックな展開で大サビが動いていく。
明るいテーマの中に何故か常に哀愁が漂うフレディ・レッドの世界観があるからこそ,粋でロマンティックでミステリアスなムードだからフロントの名演にアルフレッド・ライオンも魅了されたのだろう。
ジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスというマイナー調の音色とフレージングを想定したかのようなズバ抜けた作曲センス。
仮にフレディ・レッドが「泣きの2管」の存在を想定していなかったとしても,個性の塊のようなジャッキー・マクリーンとティナ・ブルックスを結果“飲み込んでしまう”作曲能力は“桁外れの天才”である。
…って,ここまで“ジャズ・ピアニスト”としてのフレディ・レッドについては書いてこなかったが,正直,ピアニストとしてのフレディ・レッドは“味わい勝負”。
この辺りは先の上原ひろみとは差がありすぎる。ジャッキー・マクリーンと来ればマル・ウォルドロンだから,フレディ・レッドもマル・ウォルドロン・クラスとだけ書いておこう。
“味わい勝負”のフレディ・レッドのピアノは曲全体のアレンジの一部として機能していくピアノである。
音数の少なさが生み出す絶妙の間というかスペースが『シェイズ・オブ・レッド』を都会的なフレイバーで包み込んでいる。フロントが何処となくお洒落にまとまっているのは,和声と旋律をギリギリまで溶け合わせてしまった中性的なピアノによるところが案外大きい。
繊細で孤高なピアノマンのフレディ・レッド。フレディ・レッドが光り輝いているのは,プレイング・マネージャーとしてピアノを弾いている時間ではなく,ピアノの指を止めている「作・演出の裏方稼業」の時間なのである。
ブルーノートの大量名盤群の中でも独特の光を放っている『シェイズ・オブ・レッド』。
管理人は確信している。フレディ・レッドの大仕事とは,単なるピアニストでもなく単なる作曲家でもなく,共演者が生き自分も生きレーベルの個性も生きる「ブルーノートの総合演出家」であったと確信している。
あのデューク・ピアソンがいなければブルーノートのプロデューサーの椅子にはフレディ・レッドが座っていたと思っている。
01. THESPIAN
02. BLUES-BLUES-BLUES
03. SHADOWS
04. MELANIE
05. SWIFT
06. JUST A BALLAD FOR MY BABY
07. OLE
(ブルーノート/BLUE NOTE 1961年発売/TOCJ-6530)
(ライナーノーツ/ナット・ヘントフ,原田和典)
(ライナーノーツ/ナット・ヘントフ,原田和典)