
『葬送』におけるゲイリー・バートンの役割とは,ただカーラ・ブレイを「世に売り出す」お手伝いをした。ただそれだけのことである。
よって『葬送』は「ジャズ・ヴィブラフォン奏者」ゲイリー・バートンの音楽性とは切り離して評価されるべきでアルバムである。『葬送』の中に「ジャズ・ロック・スター」なゲイリー・バートンの音楽世界は1mmも展開されていないと思う。
事実『葬送』の中で聴き取れる,ヴィブラフォンのゲイリー・バートン,ギターのラリー・コリエル,ベースのスティーヴ・スワロー,ドラムのロンサム・ドラゴンによるレギュラー・カルテットの存在感は極めて薄い。
ゲイリー・バートンのヴィブラフォン・ソロも,ラリー・コリエルのギター・ソロも「ジャズ・ロック」寄りではあるのだが『ダスター』の時のように跳ねていないし破綻していない。明らかに前衛などではない。
その理由こそがカーラ・ブレイの書き上げた「構築美」の“縛り”にある。例えば,新宿にある「モード学園コクーンタワー」のような,今までにない斬新なデザインの建築物を立てている雰囲気がある。
そう。ドラマチックでカラフルで美メロが続く「組曲」『葬送』のアルバム名を耳にして,まず思い浮かべるのは,カーラ・ブレイのピアノであり,マイク・マントラーのトランペットであり,スティーヴ・レイシーのソプラノ・サックスであり,ガトー・バルビエリのテナー・サックスであり,ジミー・ネッパーのトロンボーンであり,ハワード・ジョンソンのチューバである。
こちらのゲスト陣の演奏の方が,ゲイリー・バートンとラリー・コリエルのソロ以上に,よっぽど跳びはね破綻を聴かせてくれている。
完全に「裏方稼業」なゲイリー・バートン・カルテットであるが,こんな異様な叙事詩的な音世界は,若者たちに支持されているゲイリー・バートン・カルテットだからこそ,そしてジャズの変革を目指していたゲイリー・バートン・カルテットでなければ発表できなかったはず。
ゲイリー・バートンの方もカーラ・ブレイの斬新な「持ち込み企画」は「渡りに船」。WIN−WINの関係性が産んだ“時代の名盤”の誕生であった。

『葬送』のメイン楽器は,実際には鳴っているはずのない“ドラ”であり“爆竹”である。そう。『葬送』のアルバム・ジャケットがイメージを指し示す,中国とかインドとか香港とかが舞台の東洋映画のアレなのである。そう言えば伊丹十三の「お葬式」という映画もあったよなぁ。
それにしても『葬送』を初めて聴いたのは25歳ぐらいの時でして,その時は「お葬式」とは悲しいものであるはずなのに,明るく開けっぴろげな音楽性に疑問を抱いていたはずなのに,51歳になって「お葬式」に何回も実際に出席した経験を通して『葬送』のような,最初は泣いても最後は笑い合える「お葬式」が理想だよなぁ,と思ってしまった自分に成長と老いを感じてしまいました。
01. The Opening〜Interlude:Shovels〜The Survivors〜Grave Train
02. Death Rolls
03. Morning (Part 1)
04. Interlude:Lament〜Intermission Music
05. Silent Spring
06. Fanfare〜Mother of the Dead Man
07. Some Dirge
08. Morning (Part 2)
09. The New Funeral March
10. The New National Anthem〜The Survivors
(RCA/RCA 1968年発売/BVCJ-7330)
(ライナーノーツ/岩浪洋三)
(ライナーノーツ/岩浪洋三)