
1994年リリースの本盤。購入が遅れたつもりはない。何度も書いているのだが管理人は(今のところは)パッケージングされた国内盤のCDしか買わない。理由は輸入盤を買い出したら最後,途方もない大海原の底なし沼の世界に身を置くことになる。国内盤だけに購入候補を絞っても死ぬまでに聴き終えることが出来ない質と量。あぁ。
…でっ,なんで改めてこんなことを書いているのかというと,2000年に『峠の我が家』を聴いたから,このCDの良さが味わえたということ。本当にラッキーだったということ。そんな“手触りの実感”があるからだ。
『峠の我が家』批評を書くとなると,内容の良さうんぬんよりも,まずこのタイミングの良さを神に感謝する。この点を語らねば!
…というのも“ジャズ・ギタリスト”ビル・フリゼールは『NASHVILLE』以前で終了している。現在のビル・フリゼールは“アメリカン・ギタリスト”と表現した方がよい。
ビル・フリゼールが本当に面白いのは「狂気から目覚めた」『NASHVILLE』以後であるが,それは『NASHVILLE』以後のビル・フリゼールの“アメリカンで牧歌的なジャズ”の素晴らしさを知ればこそ!
仮に1994年に『峠の我が家』を聴いていたとしたら,ビル・フリゼールのことを「腑抜けで短調なギタリスト」と思い込んで嫌いになっていた気がしてならない。
『NASHVILLE』以降の「ニュー・スタイル」と出会うことはなかったかもしれないし,恐らく受け入れることもできなかったかもしれない。
それ位に『峠の我が家』でのビル・フリゼールが大人しい。というよりはゲイリー・ピーコックの最高のベースに絡みつくギターが軟弱で腰抜け。悪意ある書き方をすればゲイリー・ピーコックが主張したい音楽観を弱めている,という聴き方もある。
これってデュオ・アルバムにとっては致命傷だと思う。
しか〜し『NASHVILLE』で聴いたビル・フリゼールの「穏やかな変態」フレージングの素晴らしさが『峠の我が家』でのビル・フリゼールの柔らかさをすんなりと受け入れられさせてくれる。いいや,ビル・フリゼールの今後の変化の予兆が感じられてワクワクしてしまう。
特にアメリカ民謡のタイトル曲,4曲目の【峠の我が家1】と5曲目の【峠の我が家2】での演奏は,もしや『NASHVILLE』の元ネタになったかも?

それにしてもソロ名義のゲイリー・ピーコックは,いつでもとガラリと性格を変えてくる。ベース&ベース&ベースの三重奏なのかと思えるくらいの重厚さと繊細さとメロディアスの三点攻め!
ゲイリー・ピーコックの「狂気のベース」がビル・フリゼールの“毒抜き”に一役買ったのかもしれない。
そんな,あることないこと,を空想し妄想して楽しんでしまえる音空間が『峠の我が家』にはある。
01. Only Now
02. In Walked Po
03. Wapitis Dream
04. Home on the Range 1
05. Home on the Range 2
06. Trough The Sky
07. Red River Valley
08. Reciprocity
09. Good Morning Heartache
10. N.O.M.B.
11. Just So Happens
(ポストカーズ/POSTCARDS 1994年発売/TKCB-71870)
(ライナーノーツ/佐藤英輔)
(ライナーノーツ/佐藤英輔)
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