ZOKU-1 男の子が自分の父を指差して「ねぇ,見て。あの人が僕のお父さんなんだよ」と,誇らし気に紹介している場面を想像することができるか?
 その男の子にとって父親とは世界一のスーパースター。世界一強い,世界一カッコイイと心の底から思っている。自慢の父親なのだ。

 『ZOKU』(以下『』)を聴いていると,何とも誇らしい気分になる。何とも自慢したい気分になる。
 「聞け,全世界のジャズ・ファンたちよ! 日本にはこんなにもカッコイイ音楽を演奏するジャズメンたちが揃っている。何がアメリカだ,何がヨーロッパだ,ブラジルだ。日本のジャズこそが世界一で何が悪い!」と叫びたくなる。

 そう。管理人にとっては「デ・ガ・ショー」こそが冒頭に登場してきた父親のような存在である。
 「デ・ガ・ショー」こそが,ジャズの中のジャズであり,世界標準となるべきジャズだと心の底から信じている。
 ジャズは随分と芸術音楽の側に寄ってしまった。それはそれで楽しいのだが,本来のあるべきジャズとは,聴いていて笑顔になる音楽。聴いていてバカ騒ぎできる音楽。ジャズが流れている時間は,苦しみも悲しみも忘れて「凄いぞ! もっとイケー!」になる時間だと思っている。

 そんな,真剣なのに馬鹿馬鹿しさがつきまとっているのがジャズの素晴らしさだと思う。本気で命がけで行なう音遊びがジャズの素晴らしさだと思う。だからジャズとは即興のことなのだ。
 最初から最後までクタクタになるくらい襲いかかってくる音楽こそがジャズの本質だと断言する。

 林栄一片山広明にとって「デ・ガ・ショー」の2枚目は,正直,きつい録音だったことだろう。全部出し切った大傑作の後に再び大傑作を録音できるとはただ事ではない。

ZOKU-2 そう。『』は紛れもないフリージャズである。しかしフリージャズという言葉を発した瞬間に,何か違う,と感じてしまうのも事実。

 フリージャズと語るよりも,忌野清志郎ライナーノーツで記したように,ジャズではなく「デ・ガ・ショー」であり,フリージャズではなく,ビートであり,グルーヴであり,ブルースであり,ユーモアである。うん。この方がしっくりくる。

 『』には『DE−GA−SHOW!』の“出涸らし”のような部分も正直ある。でもそれがまたよかったりもする。イケイケの『DE−GA−SHOW!』には微塵もない,祭りの後の余韻,無となり灰となった充実感が『』にはある。

  01. De-ga-show, de-night
  02. Botto-suru
  03. OM
  04. Chinese surfer
  05. Suna-Kaze
  06. Blues de Show
  07. Reflecting Lane−Good-bye, Uzattai Yatsu
  08. Tsuru

(オーマガトキ/OMAGATOKI 1996年発売/SC-7111)
(ライナーノーツ/忌野清志郎,村上寛)

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