峰厚介と菊地雅章によるデュエット・アルバムが『DUO』(以下『デュオ』)である。
このデュエットは,峰厚介主導で聴くか? 菊地雅章主導で聴くか? によって印象が随分変わるように思っている。
管理人は『MAJOR TO MINOR』が気に入ったので,その流れで『デュオ』を聴いた口。なので,何とも口寂しい印象を受けた。
『デュオ』の基本はメイン・テーマを拠り所として,互いに互いの胸の内を探り合いながらアドリブに興じていくアルバムである。
ズバリ『デュオ』の聴き所とは,アドリブに到達するまでの“過程を聴く”ことにある。
全5曲が5曲とも未完成のままで終わっている。どの曲を聴いても今一歩である。盛り上がれそうで盛り上がれていない。正直『MAJOR TO MINOR』でジャズ・サックスの王道を披露した峰厚介の「中途半端」な演奏にガッカリしたことを覚えている。
峰厚介の不調の原因は「スロー・テンポしごき」にある。静かに始まりそのまま大して盛り上がらずに終了していく。どうにも間延びした時間帯が長すぎる。
おいおい,こんな約束じゃなかっただろう。峰厚介のジャズ・サックスってこの程度のものだったのか? そう感じてしまったが最後。峰厚介と菊地雅章というビッグネーム2人の『デュオ』が「タンスの肥やし」の1枚となった。
しかし,これがある日突然,ヘビロテとなるのだから人生分からない。その理由は菊地雅章の名演にある。
菊地雅章は管理人のフェイバリットの1人であるが,ある時期,猛烈に菊地雅章に狂っていた時期があって,菊地雅章を追いかけていたら『デュオ』の存在を思い出し,久しぶりに手に取ったらというパターン。
あら不思議,全然いけるじゃん。…っていうか『デュオ』でのプーさん凄くねぇ?
ノープランで“盟友”とのデュオに臨んだプーさんのピアノが実に興味深い動きを聴かせている。「自然発生的なインプロヴィゼーション」への対応力が最高に素晴らしい。
管理人は『デュオ』を当初,峰厚介がメインで菊地雅章がサブとして聴いていた。菊地雅章のピアノは終始寡黙であって,ブツブツ言いながらもメロディアスに攻めてくるテナー・サックスの受け皿として,常に着地点を探っているように感じていた。
…がっ,しかし,そうではなかったのだ。菊地雅章のピアノが峰厚介のテナー・サックスを音楽の中に浮かせているし,書き譜のテーマの中に飛ばしている。
テナー・サックスの落下点に先回りしていたのではなく,テナー・サックスの起点をピアノが先回りして準備している。
菊地雅章のアドリブを受けて峰厚介がジャンプしている。ただし,どこにどのように飛ぶかは峰厚介に任されている。
菊地雅章からのお題が絶妙すぎて,峰厚介に頭の中には選択肢が何通りも浮かぶのだろう。どう飛び上がるかに迷っている節がある。だから反応が遅れて口寂しくなる。『デュオ』の構図は,この繰り返しの図式で間違いない。
ジャズとは本来,頭とか知識とかではなく,感性とか経験とかで反応する音楽である。しかし,共演者にここまで胸の内を読まれてしまってはどうしようもない。菊地雅章の「スロー・テンポ」なライン取りに,たじたじの峰厚介は「一介のテナーマン」。前に押し出されているだけで,頭の中は終始混乱しっぱなしのようでして…。
峰厚介さん,10年後にまた“恩師”プーさんの胸を借りましょう。今回の『デュオ』では,相手が一枚上手でした。
01. MR.MONSTER
02. DJANGO
03. LITTLE ABI
04. I REMEMBER GOKO
05. REMEMBER
このデュエットは,峰厚介主導で聴くか? 菊地雅章主導で聴くか? によって印象が随分変わるように思っている。
管理人は『MAJOR TO MINOR』が気に入ったので,その流れで『デュオ』を聴いた口。なので,何とも口寂しい印象を受けた。
『デュオ』の基本はメイン・テーマを拠り所として,互いに互いの胸の内を探り合いながらアドリブに興じていくアルバムである。
ズバリ『デュオ』の聴き所とは,アドリブに到達するまでの“過程を聴く”ことにある。
全5曲が5曲とも未完成のままで終わっている。どの曲を聴いても今一歩である。盛り上がれそうで盛り上がれていない。正直『MAJOR TO MINOR』でジャズ・サックスの王道を披露した峰厚介の「中途半端」な演奏にガッカリしたことを覚えている。
峰厚介の不調の原因は「スロー・テンポしごき」にある。静かに始まりそのまま大して盛り上がらずに終了していく。どうにも間延びした時間帯が長すぎる。
おいおい,こんな約束じゃなかっただろう。峰厚介のジャズ・サックスってこの程度のものだったのか? そう感じてしまったが最後。峰厚介と菊地雅章というビッグネーム2人の『デュオ』が「タンスの肥やし」の1枚となった。
しかし,これがある日突然,ヘビロテとなるのだから人生分からない。その理由は菊地雅章の名演にある。
菊地雅章は管理人のフェイバリットの1人であるが,ある時期,猛烈に菊地雅章に狂っていた時期があって,菊地雅章を追いかけていたら『デュオ』の存在を思い出し,久しぶりに手に取ったらというパターン。
あら不思議,全然いけるじゃん。…っていうか『デュオ』でのプーさん凄くねぇ?
ノープランで“盟友”とのデュオに臨んだプーさんのピアノが実に興味深い動きを聴かせている。「自然発生的なインプロヴィゼーション」への対応力が最高に素晴らしい。
管理人は『デュオ』を当初,峰厚介がメインで菊地雅章がサブとして聴いていた。菊地雅章のピアノは終始寡黙であって,ブツブツ言いながらもメロディアスに攻めてくるテナー・サックスの受け皿として,常に着地点を探っているように感じていた。
…がっ,しかし,そうではなかったのだ。菊地雅章のピアノが峰厚介のテナー・サックスを音楽の中に浮かせているし,書き譜のテーマの中に飛ばしている。
テナー・サックスの落下点に先回りしていたのではなく,テナー・サックスの起点をピアノが先回りして準備している。
菊地雅章のアドリブを受けて峰厚介がジャンプしている。ただし,どこにどのように飛ぶかは峰厚介に任されている。
菊地雅章からのお題が絶妙すぎて,峰厚介に頭の中には選択肢が何通りも浮かぶのだろう。どう飛び上がるかに迷っている節がある。だから反応が遅れて口寂しくなる。『デュオ』の構図は,この繰り返しの図式で間違いない。
ジャズとは本来,頭とか知識とかではなく,感性とか経験とかで反応する音楽である。しかし,共演者にここまで胸の内を読まれてしまってはどうしようもない。菊地雅章の「スロー・テンポ」なライン取りに,たじたじの峰厚介は「一介のテナーマン」。前に押し出されているだけで,頭の中は終始混乱しっぱなしのようでして…。
峰厚介さん,10年後にまた“恩師”プーさんの胸を借りましょう。今回の『デュオ』では,相手が一枚上手でした。
01. MR.MONSTER
02. DJANGO
03. LITTLE ABI
04. I REMEMBER GOKO
05. REMEMBER
(ヴァーヴ/VERVE 1994年発売/POCJ-1240)
(ライナーノーツ/清水俊彦)
(ライナーノーツ/清水俊彦)