『GENTLE NOVEMBER』(以下『ジェントル・ノヴェンバー』)からは,武田和命の“魂のテナー・サックス”がフォーマットを超えてこぼれ落ちている。内から内から漏れ出している。武田和命の“生命の音”が聴こえてくる。
『ジェントル・ノヴェンバー』のレコーディング・メンバーは,テナー・サックスの武田和命,ピアノの山下洋輔,ドラムの森山威男,ベースの国仲勝男。
そう。武田和命も参加していた山下洋輔ゆかりのカルテット編成。山下洋輔のコンボでバリバリのフリー・ジャズを演奏していた武田和命にとっての「最強の面々」が全員揃っている。がっ,しかし…。
『ジェントル・ノヴェンバー』は武田和命の“一人舞台”。管理人は『ジェントル・ノヴェンバー』を武田和命のテナー・ソロ・アルバムだと言い切ってしまおう。
あの山下洋輔が,あの森山威男が,あの国仲勝男が,自己主張をやめて完全なるサイドメンに徹している。演奏から見事に消えてみせている。
この全ては意図的な結果である。『ジェントル・ノヴェンバー』は,最強のフリー・ジャズ軍団が作り上げたフリー・ジャズの真逆を行く音楽であった。
過剰になることを極力排除した,しかし強烈なテンションのまま紡いでみせた,ストレート・アヘットでエモーショナルな,それはそれは美しいジャズ・バラード集。『ジェントル・ノヴェンバー』の真実とは「根性の静寂」なるアルバムだと思う。
あの山下洋輔が,あの森山威男が,あの国仲勝男が,武田和命のバラードに心底惚れ込んでいる。全員で武田和命を“男”として立てることだけに集中している。
『ジェントル・ノヴェンバー』での武田和命が“男”である。だから『ジェントル・ノヴェンバー』“男のバラッド”なのである。
真に名盤である。管理人をして名盤と信じて疑わない1枚である。こんなにも“男らしい”ジャズ・バラードはそうそう無い。
普段寡黙なのに酔うと饒舌になる人を思わせる武田和命の“男のダンディズム”に一発でやられてしまう。
管理人は『ジェントル・ノヴェンバー』をJ−ジャズの聴くべき10枚の1枚に選定する。とにかく全てが「圧倒的」なのである。
『ジェントル・ノヴェンバー』のモチーフは,ジョン・コルトレーンの「不朽の名盤」『BALLADS』にある。
『BALLADS』のモノマネでもいいじゃないか! 『BALLADS』の世界観をここまで“自分のものとした”テナー奏者など武田和命の他にはいない。日本人テナー奏者がここまでのビター・スウィートを生み出している事実を素直に喜ぶべきではないかと思う。
とにかく『ジェントル・ノヴェンバー』における武田和命の吹きっぷりが堂々たるもので,フリーの「ふ」の字も感じられないのに,タフで厚いリードから響いてくるストイックなまでに清澄な音色の響きに武田和命を感じ取ることができる。
敢えてフリーキーさや速いフレーズを選ばずに,淡々とスケールの大きなアドリブを紡いでいく熱く切ないテナーに,胸をかきむしりたくなってしまう。
武田和命の伸びやかに吹くテナーの音色はしなやかで柔らかくほんのり末尾にサブ・トーンが混じっている。しっかりタンギングをする武田和命のテナーは凛々しくも明瞭だ。一音をしっかりと区切り大切にそっと音を宙に舞わせている。
やるせなさや哀しみの感情をどう表現するかはそれぞれの文化によって異なる。大げさな表現を好む民族もいれば,抑えた控えめな表現を好む民族もいて日本人は後者である。
武田和命は『ジェントル・ノヴェンバー』の中で,日本的悲哀の情をジャズというユニヴァーサルな音楽フォーマットの中で,深く繊細に表現している。つまり日本人の男にしか吹けない哀切さと抒情を『ジェントル・ノヴェンバー』の中に散りばめている。
最初から最後の一音がやるせない余韻を残して消えてゆくまで,どの瞬間もうっとりするような深い陰影が呼吸をしているかのような,完全に別次元の音楽がここにはある。
武田和命のアドリブに身体の奥がじわりとえぐられる。心を揺さぶるアドリブとはテクニックやけれんみなどではない。聴き手を泣かそうと小細工や演出によるものではない。
武田和命は,ただ真摯にふくよかにジャズと向かい合い,非フリーなのにフリーキーして物悲しい。管理人は武田和命の感情表現のこの部分に“男のロマン”を感じてしまう。武田和命の“生命の音”が聴こえてくる。
そう。武田和命という“男”は,真の日本男子にして真にジェントルなテナーマンなのである。
武田和命という“男”は自分を演奏できる人である。武田和命という“男”は自分を演奏する人である。武田和命という“男”は本音で演奏できる人である。
その艶やかでメロディアスで,思いの丈が詰まったような,しかもそれを剥き出しにするのではなく,魂に青白い焔を灯しながら噛みしめるように表現していくその演奏姿勢に,深く心打たれる自分がいる。
全部とは言わない。トータルではとんでもない。しかし「叙情的な潤い」という部分においては“軽々と”武田和命がジョン・コルトレーンを超えている。
武田和命が吹き上げるテナー・サックスの「根性の静寂」がどこまでも優しく“男らしい”。
『ジェントル・ノヴェンバー』は,女性の皆さんもきっと泣ける“男のバラッド”である。とにかく「圧倒的」なのである。
01. Soul Train
02. Theme For Ernie
03. Aisha
04. It's Easy To Remember
05. Once I Talk
06. Our Days
07. Little Dream
08. Gentle November
KAZUNORI TAKEDA : Tenor Saxophone
YOSUKE YAMASHITA : Piano
TAKEO MORIYAMA : Drums
KATSUO KUNINAKA : Bass
『ジェントル・ノヴェンバー』のレコーディング・メンバーは,テナー・サックスの武田和命,ピアノの山下洋輔,ドラムの森山威男,ベースの国仲勝男。
そう。武田和命も参加していた山下洋輔ゆかりのカルテット編成。山下洋輔のコンボでバリバリのフリー・ジャズを演奏していた武田和命にとっての「最強の面々」が全員揃っている。がっ,しかし…。
『ジェントル・ノヴェンバー』は武田和命の“一人舞台”。管理人は『ジェントル・ノヴェンバー』を武田和命のテナー・ソロ・アルバムだと言い切ってしまおう。
あの山下洋輔が,あの森山威男が,あの国仲勝男が,自己主張をやめて完全なるサイドメンに徹している。演奏から見事に消えてみせている。
この全ては意図的な結果である。『ジェントル・ノヴェンバー』は,最強のフリー・ジャズ軍団が作り上げたフリー・ジャズの真逆を行く音楽であった。
過剰になることを極力排除した,しかし強烈なテンションのまま紡いでみせた,ストレート・アヘットでエモーショナルな,それはそれは美しいジャズ・バラード集。『ジェントル・ノヴェンバー』の真実とは「根性の静寂」なるアルバムだと思う。
あの山下洋輔が,あの森山威男が,あの国仲勝男が,武田和命のバラードに心底惚れ込んでいる。全員で武田和命を“男”として立てることだけに集中している。
『ジェントル・ノヴェンバー』での武田和命が“男”である。だから『ジェントル・ノヴェンバー』“男のバラッド”なのである。
真に名盤である。管理人をして名盤と信じて疑わない1枚である。こんなにも“男らしい”ジャズ・バラードはそうそう無い。
普段寡黙なのに酔うと饒舌になる人を思わせる武田和命の“男のダンディズム”に一発でやられてしまう。
管理人は『ジェントル・ノヴェンバー』をJ−ジャズの聴くべき10枚の1枚に選定する。とにかく全てが「圧倒的」なのである。
『ジェントル・ノヴェンバー』のモチーフは,ジョン・コルトレーンの「不朽の名盤」『BALLADS』にある。
『BALLADS』のモノマネでもいいじゃないか! 『BALLADS』の世界観をここまで“自分のものとした”テナー奏者など武田和命の他にはいない。日本人テナー奏者がここまでのビター・スウィートを生み出している事実を素直に喜ぶべきではないかと思う。
とにかく『ジェントル・ノヴェンバー』における武田和命の吹きっぷりが堂々たるもので,フリーの「ふ」の字も感じられないのに,タフで厚いリードから響いてくるストイックなまでに清澄な音色の響きに武田和命を感じ取ることができる。
敢えてフリーキーさや速いフレーズを選ばずに,淡々とスケールの大きなアドリブを紡いでいく熱く切ないテナーに,胸をかきむしりたくなってしまう。
武田和命の伸びやかに吹くテナーの音色はしなやかで柔らかくほんのり末尾にサブ・トーンが混じっている。しっかりタンギングをする武田和命のテナーは凛々しくも明瞭だ。一音をしっかりと区切り大切にそっと音を宙に舞わせている。
やるせなさや哀しみの感情をどう表現するかはそれぞれの文化によって異なる。大げさな表現を好む民族もいれば,抑えた控えめな表現を好む民族もいて日本人は後者である。
武田和命は『ジェントル・ノヴェンバー』の中で,日本的悲哀の情をジャズというユニヴァーサルな音楽フォーマットの中で,深く繊細に表現している。つまり日本人の男にしか吹けない哀切さと抒情を『ジェントル・ノヴェンバー』の中に散りばめている。
最初から最後の一音がやるせない余韻を残して消えてゆくまで,どの瞬間もうっとりするような深い陰影が呼吸をしているかのような,完全に別次元の音楽がここにはある。
武田和命のアドリブに身体の奥がじわりとえぐられる。心を揺さぶるアドリブとはテクニックやけれんみなどではない。聴き手を泣かそうと小細工や演出によるものではない。
武田和命は,ただ真摯にふくよかにジャズと向かい合い,非フリーなのにフリーキーして物悲しい。管理人は武田和命の感情表現のこの部分に“男のロマン”を感じてしまう。武田和命の“生命の音”が聴こえてくる。
そう。武田和命という“男”は,真の日本男子にして真にジェントルなテナーマンなのである。
武田和命という“男”は自分を演奏できる人である。武田和命という“男”は自分を演奏する人である。武田和命という“男”は本音で演奏できる人である。
その艶やかでメロディアスで,思いの丈が詰まったような,しかもそれを剥き出しにするのではなく,魂に青白い焔を灯しながら噛みしめるように表現していくその演奏姿勢に,深く心打たれる自分がいる。
全部とは言わない。トータルではとんでもない。しかし「叙情的な潤い」という部分においては“軽々と”武田和命がジョン・コルトレーンを超えている。
武田和命が吹き上げるテナー・サックスの「根性の静寂」がどこまでも優しく“男らしい”。
『ジェントル・ノヴェンバー』は,女性の皆さんもきっと泣ける“男のバラッド”である。とにかく「圧倒的」なのである。
01. Soul Train
02. Theme For Ernie
03. Aisha
04. It's Easy To Remember
05. Once I Talk
06. Our Days
07. Little Dream
08. Gentle November
KAZUNORI TAKEDA : Tenor Saxophone
YOSUKE YAMASHITA : Piano
TAKEO MORIYAMA : Drums
KATSUO KUNINAKA : Bass
(フラスコ/FRASCO 1979年発売/SC-7104)
(ライナーノーツ/山下洋輔,工藤金作)
(ライナーノーツ/山下洋輔,工藤金作)