
ジョン・コルトレーンの曲をデディケイションとして演奏するテナー奏者は多いが,デイヴ・リーブマンの場合は行き過ぎている。
ジョン・コルトレーンのアルバムを1枚丸々,しかも選んだのが後期コルトレーンのフリー・ジャズ『MEDITATIONS』全曲の完コピときた。
『コルトレーンズ・メディテーションズ』って,デイヴ・リーブマンのファンであれば買うのかなぁ? デイヴ・リーブマンのファンであってもスルーされることが多い? コルトレーン信者しか買わないのでは?
管理人はかろうじてデイヴ・リーブマンのアンテナに引っ掛かったが,正直,辛い。
本家ジョン・コルトレーンの『MEDITATIONS』も所有してはいるが,未だに最後まで聴き通すとしんどくなる。ファラオ・サンダースが救世主として活躍してくれているから“もっている”アルバムの1枚だと思っている。
だから本当は『MEDITATIONS』VS『JOHN COLTRANE’S MEDITATIONS』の対比を軸に批評するのが“筋”というものなのだろうが,昨晩から聴き比べしたが,ごめんなさい。
『MEDITATIONS』は問題作なのだから『JOHN COLTRANE’S MEDITATIONS』も問題作。だから,どうコメントして良いかも問題で,ここまで書き始めてはみたものの本当に困っております。はい。
『MEDITATIONS』というアルバムは,ジョン・コルトレーンの「精神世界の音楽の権化」である。
昨今「音楽に政治を持ち込むな」というわけのわからない議論があって,チャールス・ミンガスとかマックス・ローチの例をあげるまでもなく,そんな馬鹿な……という話なのだが「宗教を持ち込んだらダメ」という話は,ジョン・コルトレーンからだろう。それくらいに『MEDITATIONS』の「精神世界」は超・強烈!
そんな,ぐちゃぐちゃでドロドロの『MEDITATIONS』をよくも再現しようと思ったよなぁ。流石はコルトレーン・マニアのデイヴ・リーブマンだけのことはある。デイヴ・リーブマンの“男気”を見直した。

デイヴ・リーブマンは『コルトレーンズ・メディテーションズ』の素材に良さに注目しているのだろう。
ジョン・コルトレーンの『MEDITATIONS』と来れば,ファラオ・サンダースのギャーギャーと鳴るスクリームの嵐や,ラシッド・アリのバタバタしたドラム,やや滑稽な朗誦などに耳を引っ張られてしまうのだが,ジョン・コルトレーンはおそらく真剣にキリスト教的な瞑想を音楽でやってみようと思っていたのだろう。
デイヴ・リーブマンは(多少の宗教的な意味合いは残っていたとしても)『MEDITATIONS』を純粋な「音楽の素材」として取り出すことで我々の耳の曇りを取っ払ってくれている。
実は『MEDITATIONS』の中では,こんなにも素晴らしいメロディーが展開していたんですよ,と語りかけられているように思える。透明感と凛とした芯がある曲ばかりではありませんか!?
01. INTRODUCTION
02. THE FATHER AND THE SON AND THE HOLY GHOST
03. COMPASSION
04. LOVE
05. CONSEQUENCES
06. SERENITY
DAVE LIEBMAN : Tenor Saxophone
VIC JURIS : Guitar
JAMEY HADDAD : Drums, Percussion
PHIL MARKOWITZ : Piano, Keyboards
TONY MARINO : Bass
BILLY HART : Drums
CECIL McBEE : Bass
TIGER OKOSHI : Trumpet
CARIS VISENTIN : Oboe
(アルカディア・ジャズ/ARKADIA JAZZ 1998年発売/TKCB-71462)
(ライナーノーツ/ナット・ヘントフ,デイヴ・リーブマン)
(ライナーノーツ/ナット・ヘントフ,デイヴ・リーブマン)