この記事は「スーパートリビア」の「グラミー賞 ジャズ部門」との連動記事です。
「スーパートリビア」の記事で記したように,CD購入済の「グラミー・受賞作」(または「グラミー・ノミネート作」)の“お祝いレビュー”(あるいは“残念レビュー”)をUPいたします。
それで読者の皆さん,お断り&再確認しておきますが,レビューするのは既に所有済のCDだけですから〜。追加購入はしませんから〜。
なお,現在「アドリブログ」の「JAZZ/FUSION CD批評」では“1アーティスト1枚縛り”で絶賛レビュー中ですが「グラミー受賞・ノミネート」は“1アーティスト1枚縛り”ノーカウントといたします。
こうなるとパット・メセニーとかチック・コリアとかマイケル・ブレッカーとかのレビュー数が突出する? まぁ,いずれは所有CDを全枚レビューすることになるので,早いか遅いか,の違いだけ!? なお,この連動記事は特別企画ゆえにトラック批評もノーカウントといたします。
とにかく圧巻である。貫録のグラミー受賞である。格が違う。レベルが違う。鼻から勝負にならなかった。
一体いつ頃からパット・メセニーは“大物”になったのだろう。管理人の中でのパット・メセニーのイメージとは,いつまでたっても『ブライト・サイズ・ライフ』や『想い出のサン・ロレンツォ』の人であって「無類の音楽少年」のまんまであった。
パット・メセニーは,どんなに売れても,イメージの中で一切歳を取らなかった。『スティル・ライフ (トーキング)』『レター・フロム・ホーム』『ザ・ロード・トゥ・ユー』が世界中で売れに売れまくっても,あくまでも「若手を代表するギタリスト」であり,それ以上でもそれ以下でもなかった。
そんな中,多分,自分の中でパット・メセニーの見方が変化したのは『シークレット・ストーリー』からだと思う。
『シークレット・ストーリー』の文句のつけようのない完成度に,初めて「プロフェッショナル」を感じた。パット・メセニーが大人になったと感じたし,一皮むけたように感じた。例えとしてはふさわしくないが,これと同じ感覚を覚えたのが,現巨人,元ダイエー,そして西武時代の工藤公康へのイメージが被った。
工藤公康はデビュー当時は「やんちゃ坊主」で「遊び人」で「才能」だけで好成績を残す野球人であったが,故障を経験してからというもの,人生の全てを野球に捧げる“プロ中のプロ”に大変身した。「あの工藤公康が,そんなにも体の手入れをしていたのか。そんなにも努力していたのか」がとてつもない衝撃であった。それまでは“天真爛漫”の工藤公康が「ニュー・工藤」になってからは,プレー中にニコリともしない。“真面目一本の勝負師”「ニュー・工藤」は,故障前の工藤公康とは別人に思えた。
そんな「ニュー・工藤」のイメージが『シークレット・ストーリー』での「ニュー・パット・メセニー」のイメージである。手抜き一切なしの全力投球。とにかく重厚な音楽である。遊び心がなくなり,隙もなくなり「玄人志向」に変化したと思う。
『シークレット・ストーリー』は,史上最高レベルの音楽ではあるが,聴いていて楽しい音楽ではなかった。個人的に『シークレット・ストーリー』をパット・メセニーを代表する名盤として推薦することがあるにしても,どちらかというと苦手な音楽である。
だから『シークレット・ストーリー』を手放しでは喜べない。個人的にパット・メセニーには「ジャズの大衆化」「ジャズの伝道師」「フュージョン初の世界制覇」を期待していた。キャッチーでメロディアスでPOPなギター・フュージョンを期待していた。パット・メセニーの“超本格派”への路線変更に「心中複雑」であった。
だから“超大作”『ザ・ウェイ・アップ』のリリース情報が流れてくるにつれ,楽しみよりも不安の気持ちの方が大きくなった。それで『ザ・ウェイ・アップ』は発売後すぐには買わなかった。おかげで「初回限定盤」を購入することができなかった。「パット・メセニー・ファン失格」「コレクター失格」である。
でも3種類準備されていた「初回限定盤」ジャケットを選ぶとすれば,通常盤になったジャケットが好きなので,気になるほどでもない自分も随分大人になったものだよなぁ。
さて,ここまで長々と『ザ・ウェイ・アップ』発売までの「尾ひれ」について書いてきたが,結局のところ何を書きたいのかと言うと,パット・メセニーは『ザ・ウェイ・アップ』で,もう一段上のステージへ上がったな,ということ。
恐らくは『シークレット・ストーリー』が音楽家としての転機となったように『ザ・ウェイ・アップ』もまたパット・メセニーの人生の転換点となるアルバムになったと思う。
『ザ・ウェイ・アップ』はパット・メセニーのソロ名義ではなく「パット・メセニー・グループ」名義のアルバムである。
『ザ・ウェイ・アップ』の中心にはいつでもパット・メセニーのギターが据わっているのだが,音楽が流れると同時に映像が浮かんでくるサウンド・カラーは,パット・メセニーとライル・メイズによる「共同制作」の証しである。
この2人の二十数年ものコラボレーションで積み重ねてきた極上の映像音楽のベースの上に,今回は都会の雑踏を想起させる『ザ・ウェイ・アップ』の特別なアイディアが乗せられている。
パット・メセニーとライル・メイズが『ザ・ウェイ・アップ』で追い求めたテーマとは「消費されない音楽」である。つまり「聴いてすぐに楽しめる音楽」を否定してきた。
TVやラジオで簡単に流せる音楽はすぐに飽きられ消費される。着メロや着うたになるような「短くてキャッチーなメロディー」がもてはやされる時代だからこそ『ザ・ウェイ・アップ』のような1曲68分10秒(日本盤はボーナス・トラックならぬ「ボーナスパート?」が,正規の曲終わりに,イメージを崩さないオリジナルの追奏として挿入された72分3秒バージョン)4部構成のSFスペクトラム長編音楽の魅力を全世界に問いかけたのだと思う。
メロディー=サビのことで間違いはないが,Aメロ,Bメロがあってのサビである。その他にもリズムとハーモニー,これ重要!
『ザ・ウェイ・アップ』のサビは最高にキャッチーで個人的には好みである。1曲の中で周期的に何度もサビが流されるが,転調を繰り返す度にこれが全部違って聴こえる。それこそが先に書いたAメロ,Bメロの存在であり,多彩なリズムと多彩なハーモニーによるものだろう。
この辺が実に憎い! 「聴いてすぐに楽しめる音楽」を否定しつつ「短くてキャッチーなメロディー」をたっぷりと,変化を付けて何通りも聴かせてくれる。例として管理人の主張を確認したいのなら【PART ONE】の冒頭の2分間を聴いていただきたいと思う。
68分間ノンストップで展開される繰り広げられる「パット・メセニー・グループ」の“音楽絵巻”には「参った,降参した」の言葉しか出て来ない。『ザ・ウェイ・アップ』での作り込み具合は『シークレット・ストーリー』以上であった。これまでにないスタイルの作品に,のけぞって椅子から転び落ちそうになった。
本当に『ザ・ウェイ・アップ』は,どこから手を付けて良いものか,攻略方法が思いつかない超大作。予想通り「大作の壁」にブチ当たった次第である。
しかし,我慢と忍耐を重ねて,休憩なしで繰り返し聴き続けていたある時『ザ・ウェイ・アップ』の「幸福」が舞い降りてきた。聴き続けるのが辛かったのがウソのよう。手に取るように曲の構成が頭の中に入ってくる。72分が10分間ぐらいに感じられる。曲が短くなったように感じて「あれ,もう終わった」という感覚に陥ってくる。またもふさわしくない例えで申し訳ないが,これってロール・プレイング・ゲームを攻略した時のあの感じ?
ロール・プレイング・ゲームのラスボスを倒した時の,最後までクリアーした時の,あの何とも言えない達成感が『ザ・ウェイ・アップ』から得られるとは? 「努力は人を裏切らない」。そして「『パット・メセニー・グループ』はファンを裏切らない」。
そしてロール・プレイング・ゲームなら必ずエンディングがあるが『ザ・ウェイ・アップ』はそうではなさそうである。ゴールテープを切った後にも,まだその先の走路が見えていて,走り続ける気持ちがあれば,まだまだ新しい世界を見ることができる。そのような奥の深さが感じられる。
『ザ・ウェイ・アップ』のラストは,世界の誰もまだ見たことがない。作曲者であり演奏者であるパット・メセニーとライル・メイズも『ザ・ウェイ・アップ』の本当のラストをまだ見たことがないのではなかろうか?
楽曲とは作者の手を離れたら最後,演奏される度に,観客の熱狂により,思いもよらぬ方向へと成長していくものである。パット・メセニーの『ザ・ウェイ・アップ』への探求心はレコーディング後も止まっていないように思える。
管理人だってそうだ。超難曲『ザ・ウェイ・アップ』攻略の成功体験が,管理人に自信を与えてくれた。もうどんな超大作が来ても恐くない。何なら『ザ・ウェイ・アップ』以上の超大作を聴かせてほしい。「聴き飽きない」ということが,こんなにも楽しいことだったなんて…。
非商業主義の『ザ・ウェイ・アップ』は“異次元の”グラミー・受賞作だと思う。かつてブランフォード・マルサリスが口にした「50年かけて売れるアルバム」がついに誕生したと思っている。
01. OPENING
02. PART ONE
03. PART TWO
04. PART THREE
PAT METHENY GROUP
PAT METHENY : Acoustic Guitar, Electric Guitar, Guitar Synthesizer
LYLE MAYS : Acoustic Piano, Keyboards
STEVE RODBY : Acoustic Bass, Electric Bass, Cello
CUONG VU : Trumpet, Voice
GREGOIRE MARET : Harmonica
ANTONIO SANCHEZ : Drums
RICHARD BONA : Percussion, Voice
DAVID SAMUELS : Percussion
歴代誌第一13章 ウザが打たれ,死ぬ
ハービー・ハンコック 『スラスト(突撃)』
「スーパートリビア」の記事で記したように,CD購入済の「グラミー・受賞作」(または「グラミー・ノミネート作」)の“お祝いレビュー”(あるいは“残念レビュー”)をUPいたします。
それで読者の皆さん,お断り&再確認しておきますが,レビューするのは既に所有済のCDだけですから〜。追加購入はしませんから〜。
なお,現在「アドリブログ」の「JAZZ/FUSION CD批評」では“1アーティスト1枚縛り”で絶賛レビュー中ですが「グラミー受賞・ノミネート」は“1アーティスト1枚縛り”ノーカウントといたします。
こうなるとパット・メセニーとかチック・コリアとかマイケル・ブレッカーとかのレビュー数が突出する? まぁ,いずれは所有CDを全枚レビューすることになるので,早いか遅いか,の違いだけ!? なお,この連動記事は特別企画ゆえにトラック批評もノーカウントといたします。
Category 45 - Best Contemporary Jazz Album ; The Way Up / Pat Metheny Group

一体いつ頃からパット・メセニーは“大物”になったのだろう。管理人の中でのパット・メセニーのイメージとは,いつまでたっても『ブライト・サイズ・ライフ』や『想い出のサン・ロレンツォ』の人であって「無類の音楽少年」のまんまであった。
パット・メセニーは,どんなに売れても,イメージの中で一切歳を取らなかった。『スティル・ライフ (トーキング)』『レター・フロム・ホーム』『ザ・ロード・トゥ・ユー』が世界中で売れに売れまくっても,あくまでも「若手を代表するギタリスト」であり,それ以上でもそれ以下でもなかった。
そんな中,多分,自分の中でパット・メセニーの見方が変化したのは『シークレット・ストーリー』からだと思う。
『シークレット・ストーリー』の文句のつけようのない完成度に,初めて「プロフェッショナル」を感じた。パット・メセニーが大人になったと感じたし,一皮むけたように感じた。例えとしてはふさわしくないが,これと同じ感覚を覚えたのが,現巨人,元ダイエー,そして西武時代の工藤公康へのイメージが被った。
工藤公康はデビュー当時は「やんちゃ坊主」で「遊び人」で「才能」だけで好成績を残す野球人であったが,故障を経験してからというもの,人生の全てを野球に捧げる“プロ中のプロ”に大変身した。「あの工藤公康が,そんなにも体の手入れをしていたのか。そんなにも努力していたのか」がとてつもない衝撃であった。それまでは“天真爛漫”の工藤公康が「ニュー・工藤」になってからは,プレー中にニコリともしない。“真面目一本の勝負師”「ニュー・工藤」は,故障前の工藤公康とは別人に思えた。
そんな「ニュー・工藤」のイメージが『シークレット・ストーリー』での「ニュー・パット・メセニー」のイメージである。手抜き一切なしの全力投球。とにかく重厚な音楽である。遊び心がなくなり,隙もなくなり「玄人志向」に変化したと思う。
『シークレット・ストーリー』は,史上最高レベルの音楽ではあるが,聴いていて楽しい音楽ではなかった。個人的に『シークレット・ストーリー』をパット・メセニーを代表する名盤として推薦することがあるにしても,どちらかというと苦手な音楽である。
だから『シークレット・ストーリー』を手放しでは喜べない。個人的にパット・メセニーには「ジャズの大衆化」「ジャズの伝道師」「フュージョン初の世界制覇」を期待していた。キャッチーでメロディアスでPOPなギター・フュージョンを期待していた。パット・メセニーの“超本格派”への路線変更に「心中複雑」であった。

でも3種類準備されていた「初回限定盤」ジャケットを選ぶとすれば,通常盤になったジャケットが好きなので,気になるほどでもない自分も随分大人になったものだよなぁ。
さて,ここまで長々と『ザ・ウェイ・アップ』発売までの「尾ひれ」について書いてきたが,結局のところ何を書きたいのかと言うと,パット・メセニーは『ザ・ウェイ・アップ』で,もう一段上のステージへ上がったな,ということ。
恐らくは『シークレット・ストーリー』が音楽家としての転機となったように『ザ・ウェイ・アップ』もまたパット・メセニーの人生の転換点となるアルバムになったと思う。
『ザ・ウェイ・アップ』はパット・メセニーのソロ名義ではなく「パット・メセニー・グループ」名義のアルバムである。
『ザ・ウェイ・アップ』の中心にはいつでもパット・メセニーのギターが据わっているのだが,音楽が流れると同時に映像が浮かんでくるサウンド・カラーは,パット・メセニーとライル・メイズによる「共同制作」の証しである。
この2人の二十数年ものコラボレーションで積み重ねてきた極上の映像音楽のベースの上に,今回は都会の雑踏を想起させる『ザ・ウェイ・アップ』の特別なアイディアが乗せられている。
パット・メセニーとライル・メイズが『ザ・ウェイ・アップ』で追い求めたテーマとは「消費されない音楽」である。つまり「聴いてすぐに楽しめる音楽」を否定してきた。
TVやラジオで簡単に流せる音楽はすぐに飽きられ消費される。着メロや着うたになるような「短くてキャッチーなメロディー」がもてはやされる時代だからこそ『ザ・ウェイ・アップ』のような1曲68分10秒(日本盤はボーナス・トラックならぬ「ボーナスパート?」が,正規の曲終わりに,イメージを崩さないオリジナルの追奏として挿入された72分3秒バージョン)4部構成のSFスペクトラム長編音楽の魅力を全世界に問いかけたのだと思う。

『ザ・ウェイ・アップ』のサビは最高にキャッチーで個人的には好みである。1曲の中で周期的に何度もサビが流されるが,転調を繰り返す度にこれが全部違って聴こえる。それこそが先に書いたAメロ,Bメロの存在であり,多彩なリズムと多彩なハーモニーによるものだろう。
この辺が実に憎い! 「聴いてすぐに楽しめる音楽」を否定しつつ「短くてキャッチーなメロディー」をたっぷりと,変化を付けて何通りも聴かせてくれる。例として管理人の主張を確認したいのなら【PART ONE】の冒頭の2分間を聴いていただきたいと思う。
68分間ノンストップで展開される繰り広げられる「パット・メセニー・グループ」の“音楽絵巻”には「参った,降参した」の言葉しか出て来ない。『ザ・ウェイ・アップ』での作り込み具合は『シークレット・ストーリー』以上であった。これまでにないスタイルの作品に,のけぞって椅子から転び落ちそうになった。
本当に『ザ・ウェイ・アップ』は,どこから手を付けて良いものか,攻略方法が思いつかない超大作。予想通り「大作の壁」にブチ当たった次第である。
しかし,我慢と忍耐を重ねて,休憩なしで繰り返し聴き続けていたある時『ザ・ウェイ・アップ』の「幸福」が舞い降りてきた。聴き続けるのが辛かったのがウソのよう。手に取るように曲の構成が頭の中に入ってくる。72分が10分間ぐらいに感じられる。曲が短くなったように感じて「あれ,もう終わった」という感覚に陥ってくる。またもふさわしくない例えで申し訳ないが,これってロール・プレイング・ゲームを攻略した時のあの感じ?
ロール・プレイング・ゲームのラスボスを倒した時の,最後までクリアーした時の,あの何とも言えない達成感が『ザ・ウェイ・アップ』から得られるとは? 「努力は人を裏切らない」。そして「『パット・メセニー・グループ』はファンを裏切らない」。
そしてロール・プレイング・ゲームなら必ずエンディングがあるが『ザ・ウェイ・アップ』はそうではなさそうである。ゴールテープを切った後にも,まだその先の走路が見えていて,走り続ける気持ちがあれば,まだまだ新しい世界を見ることができる。そのような奥の深さが感じられる。

楽曲とは作者の手を離れたら最後,演奏される度に,観客の熱狂により,思いもよらぬ方向へと成長していくものである。パット・メセニーの『ザ・ウェイ・アップ』への探求心はレコーディング後も止まっていないように思える。
管理人だってそうだ。超難曲『ザ・ウェイ・アップ』攻略の成功体験が,管理人に自信を与えてくれた。もうどんな超大作が来ても恐くない。何なら『ザ・ウェイ・アップ』以上の超大作を聴かせてほしい。「聴き飽きない」ということが,こんなにも楽しいことだったなんて…。
非商業主義の『ザ・ウェイ・アップ』は“異次元の”グラミー・受賞作だと思う。かつてブランフォード・マルサリスが口にした「50年かけて売れるアルバム」がついに誕生したと思っている。
01. OPENING
02. PART ONE
03. PART TWO
04. PART THREE
PAT METHENY GROUP
PAT METHENY : Acoustic Guitar, Electric Guitar, Guitar Synthesizer
LYLE MAYS : Acoustic Piano, Keyboards
STEVE RODBY : Acoustic Bass, Electric Bass, Cello
CUONG VU : Trumpet, Voice
GREGOIRE MARET : Harmonica
ANTONIO SANCHEZ : Drums
RICHARD BONA : Percussion, Voice
DAVID SAMUELS : Percussion
(ノンサッチ/NONESUCH 2005年発売/WPCR-12035)
(スリーブ・ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/中川ヨウ)
(スリーブ・ジャケット仕様)
(ライナーノーツ/中川ヨウ)
歴代誌第一13章 ウザが打たれ,死ぬ
ハービー・ハンコック 『スラスト(突撃)』