HINO=KIKUCHI QUINTET-1 「日野=菊地クインテット」の『HINO=KIKUCHI QUINTET』(以下『日野=菊地クインテット』)については,J−ジャズ史に残る“伝説の双頭コンボ”と語られることが多いのだが,管理人ならJ−ジャズ史上初めて誕生したワールドクラスのジャズ・コンボと紹介したい。

 今でこそ「世界のヒノテル」と「世界のプーさん」として活躍しているが「日野=菊地クインテット」結成当時はまだまだ無名に等しい存在であった。
 しかしこの音楽である。ネームバリュー抜きに純粋に演奏される音楽だけを聴けば,同時代の“帝王”マイルス・デイビス・バンドの音楽と比較しても遜色ない名演である。自動車にしてもカルチャーにしても先行するアメリカのコピー大国であるガラパゴス化した日本国内で独自の発展を遂げた“伝説の双頭コンボ”「日野=菊地クインテット」が,世界トップレベルのジャズ・コンボへ肉薄していたのだった。

 それもそのはずである。「日野=菊地クインテット」のメンバー全員が,当時のアメリカのモダン・ジャズ界の動きを,そしてマイルス・デイビス・バンドのメンバーを強烈に意識している。
 トランペット日野皓正マイルス・デイビスを,テナーサックス村岡健ウェイン・ショーターを,ピアノ菊地雅章ハービー・ハンコックを,ベース稲葉国光ロン・カーターを,ドラム日野元彦トニー・ウィリアムスのプレイ・スタイルを研究しては,それをなぞり尽くしている。

 菊地雅章が作曲したモード系のアップテンポの曲や複雑なコード進行を用いたバラードを聴いていると,いかにもウェイン・ショーターハービー・ハンコックが喜びそうな雰囲気を感じる。
 あのプーさんも出発点はマイルス・デイビスであり,ウェイン・ショーターであり,ハービー・ハンコックなのだったのだろう。楽曲・演奏の両面でマイルス・デイビス・バンドの手法を取り入れながら“帝王”のモダン・ジャズへと肉薄している。

 ズバリ『日野=菊地クインテット』は,日野皓正菊地雅章が,アメリカのモダン・ジャズ界に向けて,そしてマイルス・デイビスに向けて叩きつけた,J−ジャズからの挑戦状,のようなアルバムだったと思っている。
 それ位に日野皓正菊地雅章の視線は,痛いほどにマイルス・デイビスへ向けられている。
 もしも日野皓正菊地雅章が「日野=菊地クインテット」を引き連れて海を渡ったとしたら,すぐに全員がトップ・プレーヤーとして本場ニューヨークでも通用したように思う。

 ただし1969年当時,マイルス・デイビスの関心はすでに「電化」へと向かい,若者に人気のあったロック・ファンを取り込むべくフュージョンの創造を開始していた。
 もはやストレートなアコースティックジャズは時代遅れだったのだが,いかんせん当時の日本はガラパゴスな島国である。その辺りのタイムラグはご愛敬。でも後発には後発の良さがあるし,島国だからこちらから情報を求めない限りアメリカの音楽文化が大量に流れ込んでくることもない。マイルス・デイビス・バンドをコピーしたから分かった限界もあれば,徹底的に研究したからこそ新たなアイディアも浮かぶというもの。実際に渡米した時点では日野皓正菊地雅章アドリブ1本のオリジナリティーで勝負を仕掛けている。ただし人種差別の壁は厚かった。キャバレー・カードの壁は分厚かった。

HINO=KIKUCHI QUINTET-2 そう。J−ジャズ史上初めて誕生したワールドクラスのジャズ・コンボを率いた日野皓正菊地雅章をして,音楽を抜きにした部分で音楽と密接に関連していた世界の閉鎖的な政治,人種差別問題の影響について書かないわけにはいかない。その一方で広がっていたアメリカ至上主義の衰退が及ぼした影響についても書かなければならない。
 日野皓正菊地雅章にしても,その先駆者である秋吉敏子はメチャメチャ人種差別で苦労したわけだが,面白いもので世界各国に澎湃として起こった「民族自立」の動きがジャズ・ナショナリズムともいうべきアメリカのモダン・ジャズから距離を置く動きを生じさせた。

 その結果,マイルス・デイビスハービー・ハンコックのそっくりさんには何の意味もなくなってしまった。
 マイルス・デイビスが“帝王”と呼ばれた理由は,絶え間ないチャレンジにあったことは周知の事実であろうが,マイルス・デイビスハービー・ハンコックの音楽を完璧に身に着けた日野皓正菊地雅章も,自分ではどうしようもないキャバレー・カードの壁にもがきつつ,需要を無くしたマイルス・デイビスハービー・ハンコックの“二番煎じ”を乗り越えて,アドリブ1本で世界と勝負できるようになったのは好都合だったように思っている。
 それこそが自身も黒人として差別されてきた“帝王”マイルス・デイビスが通ったと同じ道なのである。

 マイルス・デイビス・バンドの動向を遠い島国から睨んでいた若者5人による,日本の最先端にしてアメリカでは時代遅れのハード・バップ・アルバム『日野=菊地クインテット』を聴いて育った,管理人より一回り上の「ジャズの黄金世代」が実にうらやましいと思う。
 そう。『日野=菊地クインテット』はマイルス・デイビスの「黄金のクインテット」好きにはたまらない名盤であろう。

 
01. TENDER PASSION
02. IDEAL PORTRAIT
03. LONG TRIP
04. H.G. AND PRETTY

 
TERUMASA HINO : Trumpet
TAKERU MURAOKA : Tenor Saxophone
MASABUMI KIKUCHI : Piano
KUNIMITSU INABA : Bass
MOTOHIKO HINO : Drums

(タクト・ジャズ/TAKT JAZZ 1969年発売/COCY-80430)
(ライナーノーツ/油井正一,瀬川昌久)

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イスラエルの王アハジヤ(王二1:1-18)
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