
それくらいにスタンリー・ジョーダンのタッピング奏法は革新的だった。低音弦でコードをタッピングして高音弦でソロをタッピングする,ピックを使用しない両手によるタップ奏法はギターの可能性を知らしめた。
1本のギターで2人分の演奏を可能にしたスタンリー・ジョーダンの両手タッピングは,あたかも2台のギターを弾いているかのようであり,あるいは右手と左手でピアノのハンマリングとプリングを弾いているかのような,伴奏とメロディーが独立した新しいギター奏法であった。
ただしこの手のタイプは人気が出てくると大いなる称賛以上に「曲芸だけ」「歌心がない」「創意と深みがない」「オリジナリティがない」などと酷評されがちでもある。
管理人はスタンリー・ジョーダンにオリジナリティを感じている。スタンリー・ジョーダンの個性とはやっぱり両手タッピングのテクニックと音楽性が関連しているわけなのだが,普通に聴いてもスタンリー・ジョーダンだと一発で分かる演奏だし,ギターもよく歌っていると思うのだが,そんな悪口を黙らせるには『マジック・タッチ』のような名盤を作り続けるしかなかった。
ジャズ/フュージョンに限らず,ミュージシャン足るもの「デビュー・アルバムを超えるのは難しい」という法則があるが,そんなデビュー・アルバムがバカ売れしたのだからセカンド・アルバムの重圧とは如何ばかり。
重圧につぶれてしまう人もいれば,重圧を軽々と乗り越えて「伝説」を作っていく人もいる。まぁ,スタンリー・ジョーダンは十分に頑張った方だと思うのだが,それでもそんな重圧に押しつぶされてしまったのも事実。
そういう意味ではスタンリー・ジョーダンは「エレクトリック・ベースの革命児」であるジャコ・パストリアスのようにはなれなかったなぁ。
スタンリー・ジョーダンにとって誤算だったのは,スタンリー・ジョーダンのタッピング奏法とは,音を聴いて楽しむ種類の演奏ではなく映像を見て楽しむ種類の演奏だったこと。
フュージョン・タッチの『マジック・タッチ』が売れたのも,実は根幹である音楽以外に売れる仕掛けが準備されていて,スタンリー・ジョーダンのデビューが「新生ブルーノートの象徴」とされるプロモーションの影響大。

ズバリ,スタンリー・ジョーダンというジャズ・ギタリストは,ギターを弾いたことのない人にとっては「見て驚くギタリスト」であり,ギターを弾いたことのある人にとっては「聴いて驚くギタリスト」であって,それ以上でもそれ以下でもないのはお気の毒。
そのどちらであったとしても,一旦「驚く」のを忘れて,スタンリー・ジョーダンの奏でるメロディーに耳を傾けてほしい。スタンリー・ジョーダンは新しいタッピング奏法の前に,1人のジャズメンとして新しい音楽を創造していることを…。
『マジック・タッチ』で聴かれているのは音楽性が1割でテクニックが9割。同じような逆境を跳ねのけた,ギター界のジャコ・パストリアスになり損ねたのは,スタンリー・ジョーダンの実力がその程度だったということなのだろうか? スタンリー・ジョーダンほどの名手が,このままなんとなく時代に流されてしまったギタリストとして終わるのは残念な気がしている。
01. ELEANOR RIGBY
02. FREDDIE FREELOADER
03. ROUND MIDNIGHT
04. ALL THE CHILDREN
05. THE LADY IN MY LIFE
06. ANGEL
07. FUNDANCE
08. NEW LOVE
09. RETURN EXPEDITION
10. A CHILD IS BORN
STANLEY JORDAN : Guitar
WAYNE BRATHWAITE : Electric Bass
CHARNETT MOFFETT : Acoustic Bass
PETER ERSKINE : Drums
OMAR HAKIM : Drums
SAMMY FIGUEROA : Percussion
BUGSY MOORE : Percussion
ONAJE ALLAN GUMBS : Keyboards
AL DIMEOLA : Cymbals
(ブルーノート/BLUE NOTE 1985年発売/CP32-5052)
(ライナーノーツ/マイケル・カスクーナ,油井正一,小川隆夫,中山康樹,中川燿)
(ライナーノーツ/マイケル・カスクーナ,油井正一,小川隆夫,中山康樹,中川燿)
神はシオンを美しくされる(イザ60:1-64:12)
Monday満ちる&秋吉敏子 『ジャズ・カンヴァセイションズ』