
極論を書けば,マイルス・デイビスにしてもチャールス・ミンガスにしても,根底にはいつもデューク・エリントンがいて,その影響を心の中にいる「もう1人の自分」の音楽として形を変えて自己主張したにすぎない。
渋谷毅も同じく敬虔なデューク・エリントンの信奉者であるが,渋谷毅の場合はデューク・エリントンが書く音符へ無用に手を加えようとはしない。勿論,渋谷毅の心の中にも「もう1人の自分」がいるわけだが,そんな「もう1人の自分」がマイルス・デイビスやチャールス・ミンガスとは違って,自分自身ではなく100%の純度でデューク・エリントンへと向かっている。渋谷毅の演奏を通してデューク・エリントンが賛美されることに無上の喜びを感じている。
そう。渋谷毅は,自分だったらこの曲はこんな風に演奏する,と考えるのではなく,デューク・エリントンだったらこの曲はこんな風に演奏する,と考えるタイプのジャズメンである。
『ESSENTIAL ELLINGTON』(以下『エッセンシャル・エリントン』)は,そんな渋谷毅がデューク・エリントンが放つゴツゴツとしたエッセンスを掘り下げて形にしたデューク・エリントン集。
繰り返すが渋谷毅は「奇をてらった」デューク・エリントンを弾くことはない。渋谷毅なりの現代風のアレンジが施されているのだが,演奏のエッセンスはデューク・エリントンが感じられる。
もしも1997年(録音年)にデューク・エリントンが生きていたなら,デューク・エリントンもこんな風に演奏したことであろう。
躍動的であり,哀感があり,時にユーモラスでありながら威厳も兼ね備えているデューク・エリントンの楽曲を丁寧に研究してきたからこその,新鮮なのに,これぞデューク・エリントン,的な斬新な切り口だと思う。
デューク・エリントンの美メロ1点集中主義の表れとしてベースとドラムを排しただけでも大英断であり,その上でアドリブで美メロを崩しているというのに,渋谷毅のエッセンスが前面に出ていない。
正しく『エッセンシャル・エリントン』はデューク・エリントンの信奉者にしか作ることのできないデューク・エリントン集である。

気負いのないデューク・エリントンのメロディーが,渋谷毅のピアノを通して日常生活に完全に溶け込んでいる。スイングの巨匠と呼ばれ,ビッグ・バンド用に書かれた名曲が,癒しの音楽として自然に流れてくる。
ただし『エッセンシャル・エリントン』が管理人の愛聴盤かと問われれば答えはNO。
デューク・エリントンの“括り”で批評するならば『エッセンシャル・エリントン』は名盤だと思う。しかし,管理人は特段デューク・エリントン命の人ではない。個人的にデューク・エリントンはアルバム1枚の中で1曲ぐらいなのがちょうどいいと思っている。
星5つなのは渋谷毅のピアノ・ソロの【SOLITUDE】と【DAY DREAM】の2曲。たとえデューク・エリントンの匂いを薄めることになったとしてもベースとドラム入りだったら,もっと楽しい演奏になっただろうしもっとのめり込むことができたかもしれない,と思っている。
01. Solitude
02. East St. Louis Toodle-O
03. Creole Blues
04. Prelude To A Kiss
05. Just A Settin 'And A-Rockin'
06. Black Beauty
07. Day Dream
08. Mood Indigo
09. Passion Flower
10. The Star-Crossed Lovers
11. All Too Soon
12. In A Sentimental Mood
13. Mighty Like The Blues
14. Sophisticated Lady
TAKESHI SHIBUYA : Piano
KOUSUKE MINE : Tenor Saxophone
KOICHI MATSUKAZE : Alto Saxophone, Baritone Saxophone, Flute
TAKERO SEKIJIMA : Tuba
(日本クラウン/NINETY-ONE 1999年発売/CRCJ-9152)
(ライナーノーツ/小西啓一,中山信一郎,望月由美)
(ライナーノーツ/小西啓一,中山信一郎,望月由美)
神はエゼキエルを見張りの者として任命する(エゼ1:1-3:27)
阿部薫・吉沢元治 『北(NORD)』