『AU THEATRE DES CHAMPS−ELYSEES DISC 1』の1曲目は【MEDLEY OF MY FAVORITE SONGS】(以下【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】)。
ミシェル・ペトルチアーニの愛奏曲がメドレーとなってこぞって顔を出す【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】は真に「掴みの1曲」である。
「掴みの1曲」と言っても単純に,冒頭の入りの「掴み」ではない。これぞ胃袋を掴まれる感じの,究極の名演である。
ミシェル・ペトルチアーニはシャンゼリゼ劇場でのライブに臨むにあたって,事前にどんなフェイヴァリット・メドレーにするかは決めていて,構成を練り上げていたであろう。そうでなければこの曲順の並びが完璧すぎて理解できなくなる。
曲の配列の緩急がよく工夫され,早い曲の後にゆっくりした曲,複雑な動きで驚かせた後にはシンプルで心に沁み入るようなメロディーと,ピアノによる41分間の独演なのに決して飽きることはない。
【処女航海】〜【マイ・ファニー・ヴァレンタイン】〜【ラシッド】〜【クロエ・ミーツ・ガーシュウィン】〜【イン・ア・センチメンタル・ムード】〜【枯葉】〜【A列車で行こう】という至極真っ当なフェイヴァリット・メドレー。
ミシェル・ペトルチアーニの場合,アドリブとは「原曲の自分なりのアレンジ」であって,オリジナルの痕跡を無くすとか,全くのフリーのインプロヴィゼーションは行なっていない。
その意味で【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】は「書き譜のようなアドリブ」であって,即興であるのだが,頭の中にひらめいたものを瞬時にピアノ演奏するという作業の繰り返しではなく,そこにはミシェル・ペトルチアーニなりの美学が働いている。
【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】の7曲は楽曲の断片をただ並べたのではなく,41分で1曲にまとまったかのような起伏の富んだ構成力。縦横無尽に高低差も響かせながら,喜怒哀楽の全ての感情を注ぎ込んだ演奏が,冷静さと熱狂を生んだ秘訣であろう。
【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】はジャズ史に残るソロ・ピアノの名演である。
MICHEL PETRUCCIANI : Piano
「キリスト」によるなおいっそうの宣教と奇跡(マタ14:1-17:27)
池田篤 『THE EMBRACE OF LIFE』
ミシェル・ペトルチアーニの愛奏曲がメドレーとなってこぞって顔を出す【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】は真に「掴みの1曲」である。
「掴みの1曲」と言っても単純に,冒頭の入りの「掴み」ではない。これぞ胃袋を掴まれる感じの,究極の名演である。
ミシェル・ペトルチアーニはシャンゼリゼ劇場でのライブに臨むにあたって,事前にどんなフェイヴァリット・メドレーにするかは決めていて,構成を練り上げていたであろう。そうでなければこの曲順の並びが完璧すぎて理解できなくなる。
曲の配列の緩急がよく工夫され,早い曲の後にゆっくりした曲,複雑な動きで驚かせた後にはシンプルで心に沁み入るようなメロディーと,ピアノによる41分間の独演なのに決して飽きることはない。
【処女航海】〜【マイ・ファニー・ヴァレンタイン】〜【ラシッド】〜【クロエ・ミーツ・ガーシュウィン】〜【イン・ア・センチメンタル・ムード】〜【枯葉】〜【A列車で行こう】という至極真っ当なフェイヴァリット・メドレー。
ミシェル・ペトルチアーニの場合,アドリブとは「原曲の自分なりのアレンジ」であって,オリジナルの痕跡を無くすとか,全くのフリーのインプロヴィゼーションは行なっていない。
その意味で【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】は「書き譜のようなアドリブ」であって,即興であるのだが,頭の中にひらめいたものを瞬時にピアノ演奏するという作業の繰り返しではなく,そこにはミシェル・ペトルチアーニなりの美学が働いている。
【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】の7曲は楽曲の断片をただ並べたのではなく,41分で1曲にまとまったかのような起伏の富んだ構成力。縦横無尽に高低差も響かせながら,喜怒哀楽の全ての感情を注ぎ込んだ演奏が,冷静さと熱狂を生んだ秘訣であろう。
【メドレー・オブ・マイ・フェイヴァリット・ソングズ】はジャズ史に残るソロ・ピアノの名演である。
MICHEL PETRUCCIANI : Piano
「キリスト」によるなおいっそうの宣教と奇跡(マタ14:1-17:27)
池田篤 『THE EMBRACE OF LIFE』